本

『いっしょにいきるって、なに?』

ホンとの本

『いっしょにいきるって、なに?』
オスカー・ブルニフィエ文
フレデリック・ベナグリア絵
西宮かおり訳
朝日出版社
\1470
2006.9

 こども哲学という見出しのある表紙。全7巻の中の中核をなす。個性的な絵と、ワンパターンの問いかけなどが延々と続く構成。フランスの哲学の伝統を、文化的浸透度と共に垣間見るような思いであった。
 ある意味、これのどこが「こども」なのだろうか、と思う。やさしい言葉で、身近な事柄を問い直すということは、日本では全くと言ってなされないことである。「ねぇ、どうして?」「そうだから、そうなの。もう、よけいなことを、訊くもんじゃないの」というふうな応答が、一般的なものである。「そのように決まっているんだから」などと。これでは、哲学が育つ要素がない。もちろん、それもまた、文化であると言えば文化であるのだが。
 ある問題を問う。それへの答えが、さしあたり出される。しかし、その答えに対しては、「そうだね」と一旦は肯定した上で、「でも……」と、新しい問いが次々と現れて、正面に立ちはだかる。それに対して再び一つの答えが与えられると、また「そうだね、でも……」と新しい問いが生まれるのである。
 これが、哲学である。問答無用、などという言葉は現れる可能性がないのだ。
 フランスでは、学習課程にこの哲学が必修であるという。私は学生時代、そのフランスの高校で使われている哲学のテキストを訳した全集を揃えた。これが実に、基本的な問いであるようで、深いのだ。そもそも、哲学に初級も上級もないものだと改めて考えさせられたものである。
 この絵本は、小学生で十分読める。そのあたりでよいだろうが、中学生でも、いや、私としては、いつも言うように、すぐれた絵本は、子どもだけのものにしておくのはもったいないのであって、大人も、ぜひ開いて考えてほしいと願っている。とくにこの哲学の本は、大人ならたちまち読める。それでいて、するっと読んでしまうとすれば、その人の価値は知れたものとなってしまうだろう。
 私たちは、ここに人生を発見するかもしれない。




Takapan
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