本

『ヴァギナ〜女性器の文化史』

ホンとの本

『ヴァギナ〜女性器の文化史』
キャサリン・ブラックリッジ
藤田真利子訳
河出書房新社
\3360
2005.12

 タイトルを邦訳することは難しい。「お○○こ」でも「お○こ」でも「ぼ○」でも「ほ○」でも、口に出しづらい。「おちんちん」というほど可愛く言えないのだ。名前で呼ぶことを憚られるものは、存在しないに等しい扱いを受けることになりかねない。だが、それは女性のみならず、男性すべてが関心をもっているものである。そして、すべての人の人生は、そこから始まった。この本が引用しているように、ギュスターヴ・クールベが1866年に発表した作品の題である、「世界の起源」がそれを象徴している。
 それにしても、なんと多種多様な角度から、それを論じていることだろう。イギリス人として、西洋の眼差しから問題点を指摘することが多いのは当然だが、世界各地の文化から例を集めるなど、視野も広い。日本の「古事記」にも言及されている。
 女性器についてのアングルは、章立てからして、次の通りである。1.民族文化史 2.言語学 3.動物学・昆虫学 4.解剖学史 5.愛液 6.匂い 7.オーガズム。
 これほどの関心を呼び、身近にあるものについて、今なおよく分かっていないということは多いという。そこに、新しい視点もこの本は与えているように思われる。その意味でも、たんなる歴史的まとめに留まらず、興味深い思いがある。
 だがまた、どこかそれを神秘的な領域に留めなければならない、という願望も、人の心にはあるような気がしてならない。生命現象をすべて数字やメカニズムで置き換えることに何か抵抗を覚えることが、殆どの人にあるように、女性器に限らず、男性器に関しても、凡ゆるものを暴くということが、憚られる心理があるのではないか、とも考えられるのだ。
 しかし、それでは病気をはじめ医学的に満足がいくものでもあるまい。いや、女性器の場合、それは女性という「第二の性」のあり方に影響を与える。「第二」であり続けてよいわけではないとすれば、著者が最後に訴えているように、社会的に女性が認められなければならないのであろう。それは、今の西洋社会においても、まだ途上に過ぎない、という意味のことが書かれている。
 ここまであからさまにしてよいのかという思いが走る一方で、あからさまでないから、誤った暴虐が続くのだという難点も突きつけられるように気がするのであつた。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります