本

『世界をアップデートする方法』

ホンとの本

『世界をアップデートする方法』
篠原信
集英社
\1600+
2024.2.

 ある誌面で筆者を知り、この本のことが紹介されていたので読みたくなった。専門的な哲学の訓練を受けた人ではない。だから学術的な内容を期待するわけではない。だが、専門家でないからこそ、違う視点に触れることはあり得る。その誌面では、思い切った形で、思想史についてユニークな角度から見つめている姿勢が窺えて、面白いと思ったのだ。
 確かに、この人は読書家である。本書にあった参考文献は膨大である。それも、岩波文庫などの文庫と、岩波新書などの新書が目白押しである。気持ちはよく分かる。私も、哲学についての原典にとりあえず触れようと思ったら、まず考えるのが岩波文庫である。これはこの文庫の発行当時からの理念に沿っている。近年では、角川や中公、ちくまなども、学術的なものや、歴史に名高い著作を発行してきているが、層の厚さと広さに於いては、いまなお岩波文庫には匹敵しているようには見えない。本来の古典と呼ばれるものについては、岩波文庫はなんとかそれを文庫で提供しようと努めているのがよく伝わってくる。
 著者は、そうしたものをとにかく手当たり次第読んでいるようなのだ。これは、私の読書歴にだいぶ近い。もちろん私はいくらかのものについては、岩波文庫では不十分であることが分かっている。だが、一般にこれらの古典を読破しているとなると、それはそれだけでひとかどの者であると言ってよいはずである。
 少し穿った見方を提供してくれるのは、楽しみであった。プラトンの主軸をイデア論ではなくて、国家をデザインするという発想に置くなど、確かにハッとさせられるような指摘である。ソクラテスだと、産婆術だけを取り上げ、エリートたちや家柄の良い者だけでなく、誰もが思索することの自由への扉を開いたことを最大に評価しており、それもまたひとつの慧眼だろうと思われた。
 カント以降のドイツ観念論には、「理性教」という名を冠して、人類の歴史の中で「理性」をとにかく信頼し、それを軸に世界観を打ち立てたという見方をひとつ呈しており、読者への刺激になるだろうと思った。もちろん、カントが道徳というものに徹底的に理性の理想を見出していた、などというところに踏み込んでゆくつもりは著者にはなく、ただただおおまかに、自身の中で感じた思想史についてのエポックメイキングな出来事を指摘しているのである。
 哲学ばかりなのか。そんなことはない。私の見立てでは、本書はむしろ、社会思想に主眼を置く。必ずしも哲学と呼べるようなものではなく、民主主義や経済思想の新たな時代を築く発想が、どういう天才によって打ち出されてきたか、を述べようとする。しかもそれは、単に突然変異として新たなパラダイムが次々と現れた、というような感じ方をしていない。それがタイトルの「アップデート」という捉え方である。真理がひとつのものとして淀みなくそこにあり続けるのでは亡く、新たな時代状況の中で、あるいは新たな時代状況を生み出すために、思想が、つまり人間のものの考え方そのもの、あるいはその枠組みが、いま風に言えば「アップデート」されてきたのだ、と著者は評するのである。
 うまりうまいというイメージは与えないが、かわいいイラストが表紙一面に、そしてあちこちにある。イラストレーターの名前がないのは、もしかすると著者の手によるのだろうか。「やわらかい」イメージを与えるために、本の雰囲気を伝える手段なのであろう。
 サブタイトルには「哲学・思想の学び方」とあるが、社会を広く見つめ、また教育関係の現場にいるということのためか、社会の中に潜む「危険性」というものについても、きっと敏感に感じ取っているものだろうと思う。ヒトラーが、その個人としての悪によるものというのでなく、「理性教」に対する反動のひとつの現れであるものとして、ニーチェとも無関係ではないこと、ドイツを第一次世界大戦後の痛めつけたヨーロッパの国々の影響などにも、関係性を示唆しているのは、適切なことであろうと思う。しかし私はそれ以上に、「民主主義」という偶像が恐ろしいと思っている。その「民」が、自分が正義であるという自負と共に、それを絶対真理として掲げていきながら、実のところ一気に感情により傾いてゆくという点を危惧しているからだ。いまの言葉でいえば、「ポピュリズム」は、最も警戒しなければならない風潮であるに違いない、と見ている。
 本書の最後の方は、中国思想の懐かしいような概念を並べて終わっているが、この「ポピュリズム」などの問題について、できればもっと警鐘を鳴らして戴きたかったと考えている。いまここに置かれた私たちが、ここから何を選んでゆくのか、私の捉え方では神の声に応えてゆく「責任」というものを自覚してゆく必要があるだろうと思うのだが、たんに「時代に合わせてアップデートしてゆく」というだけで終わったら、本書の役割は余りにも消極的に過ぎないか、と案ずるのだ。著者が言うように、「エネルギー、お金、労働」という常識に疑問をもつことができるようなアップデートを期待したい、というのでは、能天気に過ぎないか、と案ずるのだ。




Takapan
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