本

『車輪の下』

ホンとの本

『車輪の下』
ヘルマン・ヘッセ
高橋健二訳
新潮社・新潮世界文学36ヘッセ1より
1968.10.

 息子が高校で熱心に学習しているのを見るのは頼もしいもの。私はそうではなかった。
 中学生の頃だったと思う。ダイジェスト版で、この『車輪の下』を読んだ。勉強に希望をもっていた子が、ずるずると人生を下っていく。まだ純朴な時期だっただけに、ショックだった。しかし、その後全編を読み直すことをしないままに、自分はずるずるといってしまった観がある。
 思い立ったときが吉日。半世紀も経たないが、ずいぶんと経ってからいよいよ原典を読むことにした。もちろん日本語訳だが、信頼のおける訳者だ。
 すると、いまにしてこれが、神学や哲学の背景を有しているということに目を開かれた。ダイジェスト版ではどうだっただろう。幾分触れないわけにはゆかないだろうが、あのとき私はそんなことを理解してはいなかったと思う。つまり、いまキリスト者として、この神学校なるものやそこで学ぶことなどを、いくらかでも理解し知っていると言える中でこの物語を読むと、切迫感が違うのである。「ふうん」では終わらせない、しみじみと、否ひしひしと押し迫ってくるものがある。神を求めて学ぶ中で、人生に空しさを覚える少年ハンス、それは百年前だから今とは違うさ、と嘯いてはいられない切実さを有していると思う。
 タイトルの「車輪」は物語に描かれない。だからこれをメタファーとして読むしかない。よく言われるのが、周りの期待や鬱力、また学校の中での人間関係や教育姿勢など、それらが車輪として、少年の心を押しつぶしていく有様である。その通りだろう。
 ハンスの何が、その学ぶ生活に疑問を起こさせたのか。何かしら説明はできるかもしれないが、それは読者が考えればよいだろうと思う。友人関係や先生の態度など、影響を与えたことは沢山あるだろうと思う。だが、車輪というモチーフとは違って、これは人間であって機械ではない。何かしら原因が定まっていて、それにより人生が狂っていく、といった原因結果の話ではないのだ。
 もちろん、ヘッセ自身、詩人になりたくて、このような神学校にいるときに苦悩を味わったといい、そのことがここにひとつの悲劇的結末の物語として展開されているというのは確かであろう。自分の人生は、悪く行くとこのようになったに違いないという想像が、ひとつの悲しくも美しい物語をつくりあげた。そしてその後の人々に、大切にするものは何かを考えさせる舞台を提供した。
 ヘッセが救われたのは、母親の存在であったという。しかし救われない人生にはその母親がいないという背景を設定した。ハンスにはそのような味方が、あるいは支えてくれる存在が、なかったのである。支える人の存在は非常に大きい。命の有無さえ、それ次第ということになってしまうのだ。
 ハンスは学校を退学する。あまり質のよいとは言えない職場で生活を始めるが、軽い女性に半ばからかわれるように扱われた後、酒を呷り不幸なことになる。いったい何がどうしてそのようになったのか、必ずしも説明しようとはしない。だから、いいのだ。  図書館から借りた全集で読んだ。訳者・高橋健二氏は、実際にヘッセと会ってもいるし、たぶんヘッセを日本に紹介した役割を果たした方であろうと思う。ヘッセ自身の言葉も全集には載せられている。この全集刊行のために、訳者への友情として記されたものである。日本人とヨーロッパ人とを対比させるような見方で、それは綴られている。ヘッセはキリスト教の神学校を経験しているが、後に東洋思想にも深い理解を示すことになる。そこで、印象的な言葉がそこで見られたので引用することにした。
「今日では、日本人をクリスト教に、ヨーロッパ人を仏教や道教に改宗させるというようなことは、もはや問題ではありません。私たちは改宗させたり、改宗させられたりすべきではありません。そういうことは欲しもしません。そうではなくて、心を開き、ひろげるべきです。そうしたいと思います。東方と西方の知恵を、敵意を以て抗争する力としてではなく、実り多き生命が揺れ合う両極として、私たちは認識するのです。」(1956年)




Takapan
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