本

『海の奇蹟』

ホンとの本

『海の奇蹟』
山我哲雄
聖公会出版
\3800+
2012.9.

 高い本だが、古書店で見つけて、読みたくなった。副題は「モーセ五書論集」とあり、聖書の中の旧約聖書でも、まさに根幹とも言えるここに的を絞ってどっぷり浸かるのもよいのではないかと必要を感じたというわけである。ごまかさずここに集中するのは大切なことなのだ。
 しかもこの五書、あるいは人によっては六書などとも言うが、どのようにして成立したのか、分からない部分が多い。いや、近年の研究は、おおまかな捉え方においては一定の理解が進んでいる。かつてのようにすんなり最初の創世記から書かれて順番に記述されモーセがすべて書いたのだというような信仰はもはやもつことができない。なにしろ最後はモーセが死んでいるからモーセには書けない。その他、いきなり創世記から、1章と2章とで食い違う記述をどう理解するかという課題が、誠実に聖書を読めば読むだけ、現れてくるのが当然であった。
 もちろん、理解は一様ではない。何種類かの資料があり、記述内容にはいくつかの系統があると思われること、そしてそれらの間のつながりの悪さというものも実のところあまり気にすることなく、一連の書としてまとめられていき、そのままにされているということは、疑いようがないとされている。
 本書は、それらの背景や学説の違いをよく教えてくれ、また著者自身の見解もはっきりしているため、概説書としても、論文としても、読みやすく読み応えのあるものとなっている。専門的な記述もあるし注釈も豊富であるが、ある程度の理解のある人にとっては、読み進むこと自体にはさして問題がない。
 しかも、論文を集めたものであるために、順番に読まなければならないというきまりもない。もちろん、ある程度考えて並べてあるだろうから、素直に頁をめくっていくとそれなりに読みやすいとは言えようが、制約はないということだ。
 最初はモーセ五書の成立についての基本的な考え方が整理されているので、最初はやはりこれから目を通しておくとよいだろうと思う。その後は、創世記の記述の順に従って見ていけるように並んでいるが、アブラハムの次には、書名ともなっている出エジプトの出来事を扱う「海の奇蹟」という論文が控える。これは力作である。焦点はこうしたあたりにまとまっており、この後は祭司文書とは何かということが捉えられており、巻末までそれについての2つの論文というか、本について扱った章のものが掲載されている。
 海外の研究者の説を強く意識し、それぞれの傾聴すべきところも十分踏まえた上で、自らの立場を表明するという形で進むことが多い。そのため、ドラマチックに描くようなことはないが、穏やかに学説が読者に提供されていくように見え、私たちも学ぶために大変役立つという具合になっている。
 文章ばかりの地味な本ではあるが、中にひとつ、図解してあるところがある。タイトルの海の奇蹟の場面だが、まさにその海が割れてエジプト軍が全滅し、モーセに人が従うようになるまとまりを取り上げている。ともすればこれは史実なのかどうかという議論に走りがちでもあるし、創作でしかないのだろうなどという結論で落ち着いたとしても、では何故このような描かれ方をしたのかについては論究されないことになってしまう。目の前の料理が旨いか不味いかにしか関心がなく、料理人がどのようなもてなしの心で手を加えこしらえたのかに思いを馳せない、無粋な客のようである。著者はここに、囲い込みの構造をしっかりと見せる。物語の両端が対応し、その一つ内側どうしがまた対応した記述で押さえられているという具合になっており、イスラエルの祭具メノラーのように内容がつながっているというのである。図で示すと、こうした構造は明らかである。そしてその中央が重要な出来事だというのがイスラエルの文学形式なのであるが、そこにあるのは、一部の研究者が考えているような、イスラエルにありがちな聖戦思想などではないと告げる。民はただ黙って見ているだけであり、神が介入して神が事を為すことが描かれているだけなのである。しかし、このイスラエルにとっての重要な出エジプトの出来事は、一筋縄ではいかず、重要であるだけに、いくつかの時代の変遷の中で、それぞれの立場で解釈され、編集され、付け加えられるなどの措置を執られてきたのではないかと説く。出来上がってしまった現行のテキストを、改造前に戻すべく皮を剥ぎ修正の痕を消していくようにするのは、もちろん困難を窮めることである。あくまでも仮説に過ぎないであろう。だが、それを試みるべく学者は立てられている。それで説明がうまくいくのか、あるいはまた齟齬が見出されるのか、それを検討しつつ、学問は発展していくし、信仰者もまた自らの信仰と付き合わせて受け止めていくようになるものだろう。とてつもない思い込みで暴走すると、どちらにしてもよろしくないことは間違いない。ありがたく使わせて戴きたいし、なるほどと思ったことは取り入れていきたい。
 また何か気になって調べるときには、ぜひ開いておきたい本である。それだけに、フィルム附箋を張り巡らして、いつでも気になったところを探せるようにしておいた。最近私は、この附箋がお気に入りである。




Takapan
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