本

『海辺の教会から』

ホンとの本

『海辺の教会から』
千葉仁胤
三陸印刷
2013.3.

 ご紹介してよいのかどうか迷ったが、逆にお知らせをすることも必要かと思い、取り上げた。というのは、これは一般に販売されておらず、私もある方に贈呈された本を貸して戴いたに過ぎないのであって、どなたでも手に取るという途が殆ど期待できないからである。
 著者は、大船渡聖書バプテスト教会で牧師を務め、震災後に退職したが、「震災復興支援センターオリーブ」をつくり、支援活動をしているという人である。本のサブタイトルに「東日本大震災記録集」とあり、被災教会としての復興への歩みが記録されているという本である。本書の大部分は、震災後約十日経ち、インターネット回線が使えるようになってから発信し続けた、ニュースを掲載したという体裁になっている。
 そのため、一般的な本という形式で読み進むことになってはいるものの、ひとつひとつの記事に連続性がなく、まとまりというものを想定して読み進むことができない性質となっている。その都度の単発的な発信内容が並べられているので、経時的に読んでいくと、時折事情が分かりづらくなることもある。また、ある程度個人的事情にも触れることがあるため、その背景についてよく分からないという記事内容も散見する。
 しかし、そうしたことが、理解を妨げるということにはならない。ぶつぶつと箇条書きに記された項目からも、その背後にどんな辛いことがあるか、悲しみがあり、困難があるか、私の貧しい想像力でもある程度浮かんでくるものであるし、あるいは迫ってくるものがある、と言ってもよい。
 震災から二年を経過して、一区切りのように、ここまでの活動をまとめて本の形にした、というものであろうし、関係者に配付して、理解を求めているという事情の本ではないかと思う。また、そうしてさらに祈って戴きたいという思いがなければ、ここまで時間と経費を使って形にすることもないであろう。
 一般に、震災関係の情報をまとめたものとなると、あるいは発信するニュースとなると、どんなに悲惨な出来事があったか、あるいはどんな具体的な困難があるか、それを伝えようとする場合が多い。それは必要なことだ。体験しなかった者に、その体験者だけが伝えられる内容を伝えていくというのは、大切なことだ。
 しかし、この本がそれとただ同じことをするという途は、選ばなかったとみえる。どんな辛いことがあったか、触れないわけではないが、それがメインではない。ここにあるのは、牧師としての立場も当然関係しているだろうが、神にすがりつく信仰である。たんに神を讃美していればよいというものでもないだろうが、この悲惨で苦しい情況の中で、希望が上から与えられるものだという信仰の許に、神の国の籍をもつ者が地上における寄留の旅を続けていくその足跡を刻んでいくような過程を感じざるをえないのだ。
 つまり、信仰という柱の中で、震災を見つめ、それに遭った人々を支え、魂の次元で助けになるのは何であるのかを伝えようとしている。人はパンのみで生きるのではないが、パンもなければ生きてはいけまい。しかし、パンさえ与えておけばよいというものでもないだろう。たくさんのボランティアや善意により、パンは与えられる。大切なことであり、貴重なことだ。しかし、クリスチャンとして、神の恵みを知る者として、その恵みを伝え、希望や、せめて落ち着きを示し、伝えることができるというのは、やはり特権めいたことなのである、と筆者は考えているだろうと思う。
 そのため、トラウマを起こしかねない記事内容を提示しようとは考えていないだろう。私たちのような、ある意味で傍観者である者にとっては、悲惨な体験を見聞きしたいという欲望が、どこかにあるかもしれない。しかし、問題は傷ついた人々がこれから前を向いて歩けるかどうかである。どうしても、あの日あの時のことが、慚愧に堪えないものとしてフラッシュバックされてくることだろう。安易にそれを否定することはもちろんできないが、それを大切なものとして抱きつつ、これからどうするか、今立ち上がれるのか、という点については、キリスト者としてできることがきっとあるはずだ、という信念が感じられる。まさに、そうだろうと思う。
 文章を書き慣れていない方かもしれない。若干、言葉の誤りや不自然なつながりの文も見られる。だが、それがこの本の価値を下げるようなことはない。魂の叫びは、必ず神に向けて発信されているのだし、それが私たちにも伝えられているということだ。そしてそれを聞いた私たちが、これに対してどうレスポンスするのか、あるいはまた、本当にその叫びを聞いているのかどうか、その辺りが問われてくることになる。
 もちろん、パンのための援助も欠かせない。しかし、魂の援助も根柢に据えているこのような活動を、せめて祈りにおいてでも支えていく、共に生きていくということは、地味で一見力がないように見えるかもしれないが、まずここから始めることのできる、私たちの仕事であるだろう。
 文章だけで、写真も使えない構成に、抑えられた経費を感じるが、もちろんそれでいい。言葉の力を、私たちはここに知るべきである。私が特に心に留まった、この本の真骨頂と感じた部分を最後に引用させて戴く。日本の教会が取り組まなければならないこととして思うところを述べている。
「物的なものを含めて目に見える支援は一般団体でもできます。しかし教会でしかできないことは、人々の心に永遠への希望と平安を見出してもらうことです。そのためには被災地の教会が立ち続けなければなりません。その他の伝道者や信徒たちが疲れず、立ち続けていくことができるよう、祈り励まして欲しいのです。時間とともに関心は薄れていくのは止むを得ないのですが、この働きは時間を要するものと思っています。」(107頁)




Takapan
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