本

『植村正久文集』

ホンとの本

『植村正久文集』
斎藤勇編
岩波文庫
\350+
1939.8.

 1983年に第2刷が発行されている。気の長い増刷だが、よくぞ再び世の中に送ってくださった。いや、必ず読みたいという人がいる。現にここにいる。
 植村正久は、安政の世に生まれ、昭和を直前にして亡くなった。明治から大正を駆け抜けたキリスト者である。多くのキリスト者に影響を与え、その説教についても様々なことが伝えられている。本書の次に、説教集を味わう予定にしており、愉しみにしている。
 編者斎藤勇(たけし)氏はこの本の「序」を、昭和14年に記している。そのときの社会の雰囲気は如何ばかりか、と尋ねたくなる。編者は、英文学者であり、東大や国際基督教大学の名誉教授でもあった。キリスト者としては植村正久を師とし、キリスト教界でも尊敬されていた。もちろんその英文学の研究は国内外を問わず評価され、勲章も受けている。日本の英文学研究の魁とも言われ、その52歳という活躍しきりのときに、本書を編集している。
 この本では、植村正久のキリスト教論や説教を一切省くという冒険をしている。むしろそうではない側面を明らかにしよう、というのです。「一般問題の評論や人物論、訳詩、書簡等を集めた」のだという。それらは、植村全集のおもに第七巻から選んだというが、文庫に於いて手軽に読めるというのは、なんともありがたい。
 外国の人名についての、植村独特なのか当時の常識なのか、その表記についても「序」に断りがあるが、本編は、早速その「ルウテル」や「カルヴィン」についてから始まる。「宗教思想家評論」の次には「時評」が並ぶ。まだ19世紀の時代である。「愛国の真意は、国民を愛するに在り、其の歴史を忘れ難く覚ゆるに在り、夢寝の間に其の英雄と交通するに在り」などと逞しく告げる文章が、何を背景としているか、もしよければ解説があれば何よりだが、それも自由に想像しながら読むのもよいだろう。社会に対して言うべきことをはっきり言う力を、そこから学びたい。日本の基督教文学も当時のものであるし、神学者が海軍少将の世良田氏を追悼する文章や、福澤諭吉を弔する文章もあり、しみじみ故人を思う気持ちにぐっとくるものを覚える。
 板垣退助など、亡くなった方のための文章もさらに幾つかあり、当時が偲ばれる。板垣退助が、基督教の説明に耳をよく傾け、洗礼の直前まできていたような書き方もしてあるのには驚いた。
 編者にしてみれば、植村正久が、英文学に大きな関心を寄せているのは、喜ばしかったことだろう。その辺り、比較的長い「あとがき」にも詳しい。植村正久その人や、背景事情については、案外ここを最初に読むと、内容の理解も深められたかもしれない。「西洋文学論」として、トルストイやカアライル、ウォルズウォルス(ワーズワース)やテニソンなどの名前が並ぶ。英文学者の編者が堂々とこれを並べているのだから、植村の評論もただものではなかったのだろう。よく読み、またよく解しており、文明というものもよく理解していたということなのだろう。
 その後には、「訳詩」が少しと、少量の書簡などが付け加えられており、「あとがき」へと流れてゆく。
 本書は全編、旧字体である。煩雑を避けるため、ここでの引用は、すべて新字体に直しているが、本書は旧字体からできている。これが読めない人は、私の同世代にも多い。だが、少しばかり古い本に目を通す必要があるときには、旧字体に慣れておいた方が、絶対にいい。これは慣れの問題である。大体文章の流れから予想がつくものも少なくない。諺や慣用句というものが、子どもたちから絶滅しかかっているのは、多くの本に触れないためではないか、と推測される。言葉は、受験のために一覧表を暗記するというものではない。たくさんの文章の中で、生きた形で触れて、自分の血や肉にするものである。
 旧字体を厭わないキリスト者には、本書はお薦めである。200頁余りと薄いもので在るし、文庫であるために、頁が進むのも早い。
 先に触れたが、「あとがき」がまた詳しくていい。
 それも記した編者は、この仕事の40年余り後、不幸な死を迎える。それについてはこのたび初めて知ったが、こうした巡り合わせは、なんとも胸に切なく響いてくるものだ。




Takapan
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