本

『ちょっぴりながもちするそうです』

ホンとの本

『ちょっぴりながもちするそうです』
ヨシタケシンスケ
白泉社
\1000+
2024.6.

 15cm四方のちっちゃいサイズの絵本。ヨシタケシンスケの作品だから、おもしろいことは請け合いである。
 ビーズのような飾り輪に包まれた、画と言葉。それが見開き2頁にわたって延々と繰り返される構成になっている。それぞれの見開きには、関係は何もない。どこから開いて、どこから読んでも構わない。左頁は、基本的に仮定節となっている。表現は様々で、「〜すると」「〜していれば」「〜しておくと」や、時に「〜は」を、やはり仮定的な響きの中で提示している。それに呼応して右頁は、「〜そうです」で例外なく終わっている。その最終頁が、「ちょっぴりながもちするそうです」と、本書のタイトルとなっているだけの話で、すべてのネタが、「〜そうです」で結ばれるところが特徴となっている。
 この伝聞の結びは、実に無責任である。誰かから聞いたもの、というような設定であるが、多分に凡そどこからも聞いたことがない、そして聞くはずのないような結論も多い。何の根拠もないような、ナンセンスギャグも目立つということである。
 ネタバレをするのは本意ではないが、どうにも理解できないのが、「夜中、一人で小おどりすると」と読んで右を見ると、「サバンナのまんなかで、ヌーがごちそうにありつけるそうです」と長閑な画を見ることになる。
 だが、そんな理屈抜きに笑えるものがあるかと思えば、私が唸ってしまったものもある。「あなたをその気にさせるスイッチは」ときた先にあったのは、「自分ではさわれない場所についているそうです」というものだった。とぼけた画があるので、画につられて笑ったまま通り過ぎる人がいるかもしれないが、これはとても深い。哲学的であり、神学的な意味をそこに重ねることが、きっとできるものである。
 何の根拠もないものは、先のヌーの例ほどにはぶっ飛ばないかもしれないが、本書のあちこちにある。他方、突如として目が釘付けになるものもある。もう一つだけ引用をお許し願いたいが、「誰にもバレていないズルは」さあ、どうなるだろうか。「ズルとは言わないそうです」となった。これも認識論になり得るし、神学にだって適用可能であるように私は感じた。
 つまり、ものを考えるヒントが、随所にあるのだ。以前、ヨシタケシンスケ展かもしれない、という、これまた人を食ったようなタイトルの展覧会に行ったが、著者がいつでも何か気づいたことをメモし、ちょっとしたイラストを描き重ねていることを知った。何らかの気づきをすかさず書き留め、消えていかないように努めているのだ。
 そこまでは私にも分かる。後でメモしようとして、1分後にもう忘れてしまったアイディアが、もう永遠に届かないものになってしまった経験を、最近味わったのがまだ悔しいのである。
 だが、そもそもここにあるような発想が、とても私には起こりえないものであることは、完全に認めなければならない。ヨシタケシンスケありき、で生まれたアイディアが、ふんだんに並んでいるのだ。絵本なんて簡単だ、などと軽んじる人が世にはいるかもしれないが、そんなことを考えることは絶対にできない。特にこの著者の場合は、どれほど巧みに計算をしているか、もさることながら、そのアイディアを生むためにどれほどのエネルギーを使っているか、計り知れないのである。
 とはいえ、そんな議論をするようなことを、著者はちっとも望んでいないであろう。ただあははと笑ってください、という程度のことしか口にしないのではないか。何も深い意味を隠しているつもりなどないのですよ、と。でも私は私なりに、ひねくれ者だから、勝手に思うようにしている。ここから深い考えを味わわせて戴きましたよ、と。




Takapan
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