本

『五十歳から読む『徒然草』』

ホンとの本

『五十歳から読む『徒然草』』
北連一
廣済堂出版
\1470
2005.1

 定年まで出版社に勤務した後、新聞などにコラムを書く著者。いわゆる国文学者でも古典研究者でもない。自由に綴った『徒然草』に負けず劣らず、自由にそれへの感想を書き留めている。その気楽さがいい。まして、そこから得るものがありそうだとなると、なおさらである。
 文永・弘安の役の後に吉田兼好は生まれ、この『徒然草』をしたためている。その歴史の中に置かれて初めて、無常観なり批評精神などがありのままに理解されるとも言える。兼好法師は、どうにも書かずにはおれない思いからこれを記したが、それは正に時代の空気の中でぴいんと張りつめた糸のように、新鮮で、清々しい。
 古典はいい。女房文学の優雅さやエスプリもさることながら、この鎌倉期のやや意固地な男性の、斜に構えたような世の見方というのも、味わい深い。そうやって味わうとは、何も文法の丸暗記によってとか、テストに出るからとかいう理由では、十分噛みしめることのできない性質のものであろう。もはや本文の細かい釈義などは気にすることなく、ただ声に出してそのリズムの世界に浸ることができたなら、それはそれでよいことなのだ。
 五十歳と言わず、大人になったらどうぞ読んで戴きたい。人生の中で何か力を与えてくれる言葉が随所にあるかもしれないから。
 私の心に深くとまった言葉は、次のところだった。
「人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり」(第九十三段)。
 限りある人生であるからこそ、喜びも大きい。喜ぶことができるのだ。ひねた大人や能面のような子どもたちが世の中に多いとすれば、それはもしかすると、死の自覚が欠けているか、あるいは不十分であるからではないのか。死への存在を受け容れる現存在としての人間から頽落している中では、生の喜びも味わうことができないものである、と解釈することもできよう。
 様々なことについて、吉田兼好と共に、あれこれと考えてみたい気もしてきた。少しばかりあまのじゃくな、このおじさんと共に。




Takapan
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