本

『津波災害』

ホンとの本

『津波災害』
河田惠昭
岩波新書1286
\756
2010.12.

 この本の存在を知ったのは、東日本大震災が起こった直後だった。
 いや、岩波新書の新刊情報には必ず目を通しているはずだから、それまでにも知っていたはずであった。だが、意識に上っていなかった。それくらい、私にとってそれは生きるために必要な情報ではないものと見過ごされてしまっていたのである。
 たしかに、福岡に住んでいて、津波の被害を大きく考える機会はない。地震も、2005年の時が珍しかったほどで、水害は豪雨と河川の氾濫によるものと思われている。その方面への対策や考慮は、さすがにある程度ある。各地域に、水害の記念碑があるらしい。
 しかるに、この津波はどうか。あの恐ろしいライブ映像が頭から離れない。津波をこんなにもリアルに中継するということが、かつてあったのだろうか。そう思わせるくらいに、それは生々しく、そして残酷な映像であった。
 とにかく高いところへ逃げろ。これは聞いたことがある。直下型地震でいきなり潰されたら、逃げる暇もない。乗っている電車が脱線したら、簡単に抜け出せるわけがない。それに比べて、津波というのは、とにかく多くの場合、逃げる時間の猶予があるではないか、くらいに呑気に構えられるほどに、私もまた無知であったのだ。いや、猶予があるのは確かであろう。だが、それはまことに一分一秒を争うものであって、さらにまた、第一波が厳しいとは限らず、一見波が引いたように見えたその後が恐いというメカニズムがこの本にあるのを見ると、無知はいただけないことがよく分かる。さらに、近年は、車によって避難しようとして、渋滞の列がそのまま波にさらわれていく、という事態も起こっているという。こうなると、ますますとにかく誰それ構わず逃げろという古人の警告は、まことにその通りだと分かる。
 そもそも津波とは何であるのか。そのメカニズムはなにか。どの程度で危険なのか。どのように逃げることが有効なのか。東日本大震災に関する解説情報も、いつしか原発の仕組みに取って代わられて、津波そのものに関する知識はなかなか披露されようとしない。これでは、次の津波に対する知識を得られない。支援そのものでない原理的なものを扱う機会があるのであれば、テレビ局はぜひ、津波のメカニズムについてじっくり解説を試みてもらいたいものだ。というのは、たとえば地震情報で、「この地震で津波の心配はありません」とはっきりすぐに言われる場合があるが、それは何故か、説明がなされたことはまずないように思われるからだ。この本は、こういう基本的なことで、知ることにより被害を防ぐことができることがきっと多い、というスタンスで、とことん津波とは何ものであるか、駆け足ではあるが、描ききっているように見える。多くの機関や仲間の力を受けて、完成した力作なのだ。
 つまりは、危機管理能力が育つということになる。これは、津波ばかりでなく、他の災害に関しても、大いに得るところがあるものだ。津波を通して得た情報が、他の災害にも適用されることがあるだろうし、また、同様に思考することに役立つことがあることは確実だからである。
 かつて18世紀のリスボン地震津波では、数万人規模の犠牲者が出たというが、これがポルトガルの国としての衰退を完全に決定してしまったという。今の日本がそれと同じ途をたどるとは信じたくないが、現実に把握しておかなければならない歴史であろう。この本は、かつての大きな災害についてもこのようにして触れている。そして、経験した誰もが、「未曾有の」と称したことも容易に想像できるように説明されている。というのは、この規模の大地震は、百年以上の周期の中で起こっていることであり、確かにその人にとっては初めての経験であり続けるわけだ。重要なのは、語り継ぐということなのだ。
 ただ、行政がお決まり式の鈍い行動力で、十分な危機管理を示してこなかったこと、今もそうであることについては、著者はかなり憤っているらしく、かなりの部分でそれを明らかにしている。せっかくの研究や民間の知恵が、役立つように働いていない、というのである。地震の情報を流すのに、精緻な情報を心がけるよりは、何よりもまず迅速さであるべきだと著者は提案する。わずかな精度を上げるために情報伝達を遅らせるよりは、まず情報を流すことが必要である、と。それはそうだが、それというのも、その情報を受け止めるだけの日常における人々の理解や訓練意識が大切であるとも言われる。今回の東日本大震災も、今すぐに言うのは残酷ではあるが、やはり、語り継がなければならない。
 減災社会を築く、という副題がついている。「減災」とは一般的な語ではない。造語かもしれない。だが、そのために日夜研究をしている人がいる。その研究の正しさ、的確さは、皮肉なことに、不幸な災害が起こって初めて私たちが知るということになる。せめて、このうな警告を十分身に引き受けて、その研究のためにみんな助かりましたよ、という喜びと感謝の返答を、研究者にお返ししたいものである。
 ひとつだけ、気になるところはあった。著者は、岩手県の釜石と大船渡にある、津波防波堤について触れている。これで、当地は「際立つて安全になっている」と言い切っている。世界的に見てもそれだけの設備であったには違いないのだろうが、それがいとも簡単に破られた今回の震災を経て、この関心の強い時期にできれば、もう一度このあたりについて、著者の見解と対策を聞かせてもらいたいものである。もちろん、いくらかは研究を待っても差し支えないが、意見の段階でもいいから、コメントを知りたいと思う。これだけの設備が、何故役立たなかったのか、そのあたりを。




Takapan
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