本

『つなみ 文藝春秋8月臨時増刊号』

ホンとの本

『つなみ 文藝春秋8月臨時増刊号』
森健
文藝春秋
\800
2011.8.

 東北をこけにし、九州を自虐ネタの中に埋没させた、松本龍という元復興対策担当相。ある九州の記者は東北の方々から、「あんな国会議員がいて、九州は大変だね」と同情されたという。しかし、こうした人物を衆議院選挙で七回も当選させたのは地元の責任だ、とその記者は自戒していた。恥ずかしいを通り越えて、九州全体が立場をなくすようなことともなる。
 皮肉なことながら、その松本氏の一件で、この本は売れに売れることとなった。横柄な、今風に言えば「ありえない」会見の中で、この本を掲げたことでそれが幾度も放映されることとなったのだ。
 被災地のこども80人の作文集。
 地味なサブタイトルである。しかし、もうこれで十分だともいえる。
 この年の3月11日、多くの人の運命が変わった。その様を、どうかすると飾ったり建前でしか出せなかったりといったことのある大人ではなく、子どもに文章で描いてもらったのだ。
 それは、どこか残酷なことでもある。思い出したくないという場合もあるだろう。だから、取材にあっては、強制はしていないという。もちろんそうだろう。しかし、思いの外、協力してくれる子どもが多かったという。そして、むしろ書き出すことで、いわば吐き出すような効果を伴うのか、ひとつ段階を踏まえて先へ進めるようになった場合もきっとあるだろうと願うものだ。実際、そういうことも多いだろう。
 ようやく字を習った一年生の中に、実に堂々としたものがある。よく伝わってくる。また、言葉にならない先に、さらに言いたいことや言えなかったことがあるだろうことも、私たちは感じることができる。心理学者などはいろいろ研究素材にもなるかもしれないが、私たちはとにかく、ここからストレートに受け止めておきたいものだと思う。
 このように子どもに書いてもらうという試みは、何も今に始まったことではない。『三陸海岸大津波』の中でもすでに実践されていたことが明らかになっている。おそらく今回の編集も、この本にヒントを得たのではないかと邪推する。
 原稿用紙に書かれた字をそのまま載せた幾人かの子と、活字に組み直した子とがある。概ね高学年あるいは中高生は、文章自体が長い場合が多いこともあって、活字になっている。が、肉筆のコピーはまた、たどたどしくではありながら、実にぐいぐいと迫ってくるものがある。作文としては適切でない間違いがあります、などと言っている場合ではない。ここにあるのは、生死ぎりぎりのところで助かった子どもたちの見たもの、体験したものである。
 同時に描かれた絵もいくらか掲載されているし、また、皆の顔写真もある。
 笑顔もある。だが、私たちの普通思い描く笑顔とは違う。とてつもない人間の深淵を覗き、あるいは乗り越えてきた表情である。綴った文章を見ると、もう絶句するというか、私たちはもうそばに近寄れないほどの奥深い体験を経ていることに、尊敬を払うしかないほどである。
 思わず涙が流れることもある。だが、それを無理に押しとどめる必要はないだろうと思う。自分がそこから遠いところにいるのだというふうに思いなし、冷静でいられるようになったならば、きっと私は血も涙もない、そしてもはやキリスト者ではないような者になっているはずだと考える。
 雑誌状のものである。もはやしばらくすると店頭にならばなくなる可能性がある。できれば今後も一定の増刷を続けて、多くの人にさらに手が届くようになっていてほしい。私たちが、この子どもたちのことをずっと忘れずに心に抱いているようであってほしい。
 さらに言えば、この本の80人のほかに、その何百倍、何千倍かの、同じような疵を負った子どもたちがいることを前提に、私たちが物事を考え、決めていくようでありたい。その代表者となった80人の子どもたち、書くことでまた泣くなどしたかもしれないが、私たち大人の中には、決して君たちのことを忘れない者もいる。応援の思いを絶やすことのない誓いをする大人もいる。私もまた、祈りの中で応援している。




Takapan
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