本

『罪と罰、だが償いはどこに?』

ホンとの本

『罪と罰、だが償いはどこに?』
中嶋博行
新潮社
\1575
2004.9

 こんな怖い本はなかった。
 ホラー小説も嫌いではないし、怖いと思う。だが、それは所詮バーチャル世界だという前提がある。ジェイソンが自分の後ろから追いかけてくることを真剣に心配する必要はない。
 だが、この本は、いつどこから突然殺人鬼が襲ってくるか分からないという事実を目の前に突きつけてくる。そいつが自分をどのようにするのかが詳細に語られる。何しろ著者は弁護士であり作家である人だ。法廷小説などを手がけることもあるし、弁護士しか分からないような、生々しい調書を幾多も見てきている。
 新聞で報道されるような「殺人」、ドラマで演じられるような「殺人」は、狂言の動きくらい抽象的なものだ。実際にその「殺人」現場で何が行われたのか……この本は最初の方で、そうしたおぞましい光景を見せる。実に正視できないような凄惨な様子が事実として示される。これで、私たち読者の度肝を抜く。
 どだい、ドラマで描かれるような良心的な殺人者などないのだ、と著者は叫ぶ。更正などできないのが当然であり、人を人とも思わぬ獣がうようよしているのが社会の現状だという。
 遺族は怒る。だが、刑事と民事とが裁判として別々になっている以上、刑事罰は検察任せでしかないし、賠償金を請求したとしても、どだい被告人は貧乏などの状況が多く、びた一文取れないことが多いという。裁判で勝っても、賠償金を払わないことは罪にならないのだ。
 著者は断言する。殺されることは損である、と。人権というものがどう扱われてきたかの歴史を振り返り、人権思想がある以上、被害者はひたすら損を被るしかないのだ。
 このように、はっきり主張がなされている本というのは、読みやすいし、読んでいて好感をもてることが多い。私も、被害者というものは守られないという現実を突きつけられ、かなりショックではあった。
 この本は、幾つかの提案をしている。その一つに、資本主義的な復讐というものが掲げられてあった。金銭賠償をどのように可能にするかのプログラムが作られていくのである。
 私は一点、その一部に理解できないところがあった。「資産の有無による不平等」を説明した191頁の部分である。著者は、安易に死刑をせず、一生かけて監視して働かせ遺族に賠償させるという考えをもっている。ところが、金持ちが加害者であった場合、賠償は簡単にできる。賠償をすることで、刑を軽くする嘆願書なども準備可能だという。他方、貧乏人は、同じような加害者であった場合も、賠償金が支払えない。刑も軽くならない。この不平等を説明しているのである。著者は、これを「資本主義社会に内在する特質」であると片づける。被害者に金を払った者が優遇されるのは当然である、としている。それが「実利的」だという。
 だが、この考え方を広範囲に適用すると、結局のところ、金で犯罪をもみ消すことができる、という事態を招かないだろうか。実は著者の説明は、他の事柄の説明に比べて、ここの説明が12行しかなく、異常に少ない。私はこれだけの説明では、分からない。金持ちなら、より気楽に人を殺すことができることになりそうだからだ。それを、資本主義では当然だとの説明だけで説得するのは、難しいのではないか。
 ここの解説を、待ちたいと思う。




Takapan
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