本

『続・辻まことの世界』

ホンとの本

『続・辻まことの世界』
矢内原伊作編
みすず書房
\2000
1978.6.

 すでに『辻まことの世界』について、先に綴っている。辻潤の息子、というよりも恐らく、伊藤野枝の息子、と言った方が認知度が高いことだろう。前巻には、その父のことが少しだが書かれていたけれども、今回は編者が、もっと辻まことらしい当人の世界を、前巻で割愛したものから選んで集めたように見える。
 忠類図鑑から読ませるのは、前巻と同じである。一応「補遺」という名もついているが、同人誌『歴程』誌に発表していない作品を多く取り入れたのである。その意味では、貴重な資料となり得るものである。皮肉たっぷりに、世相の問題を、そういう虫がいる、という書き方で表現している。画家でもあるため、ペン画のセンスも抜群である。
 文明や社会に対する批評も多い。ただ、正面切っての批評だとするのもよくないような気がする。どこか斜めから、あるいは地面を這う小動物の眼差しから、密かに世に対して呟くのである。
 文筆家としては、親交のあった草野心平ほかの作品への批評も書いている。だが、本の内容の紹介というわけでもないし、論陣を張って対抗するというような姿勢でもないように見える。ひたすら、自分の中の世界を描くようなふうだ。
 文芸を過ぎたら、編者のつくったコーナーは、次は絵画である。必ずしも分かりやすいものではない。なにしろ、そこに図版があるわけではないし、その絵について私は知識がない。だが、そんなことは意に介することなく、自分の心が触発されたことをのみ真正面から見つめて、ふわふわと言葉に描く。否、時に言葉は鋭く差し込むように投げ出されるが、概してその辺りを飛び回っているように感じられてならないのだ。
 最後の三分の一は、山のことについて書かれている。山もまた、著者の世界なのだ。とくに「岳人の言葉」として数字の章だけで分けられている50頁ほどのものは、雑誌『楽人』に連載されていた言葉を集めたもので、「岳人の言葉」というタイトルは、編者がつけたものであるという。実に気ままに、山岳愛好の人々を愉しませるような筆致で綴られている。私は素人であるために、その微細な感覚を味わうことなどとてもできなかったが、実際の体験を紹介するような口調で、しかも突如別のことを持ち出してくるなど、なかなかお洒落な文章であると感じた。
 たとえば「まあどんな生き物だって弱肉強食は運命なのだからしかたがないが、それを生き物の業とも現在とも考えてみる自覚がなく、何か自然を愛し、存在のすべてを美しくする善意ででもあるかのようなヒポクリシーが公園や花壇にはある。」というような調子であり、「いかなる強力な帝国も、富んだ国家組織も、社会制度も、かならず転倒し崩壊する事実である。文明は壮麗であろうがなかろうが、滅亡する。しかし人類は、どんな社会組織にしばられても、けっして全面的には崩れない。」というように、母親の息吹を少し感じさせるような勢いある文もあった。
 特にここは私としては押さえておくべき箇所であった。「私は神に祈ったことはないし、仏を信心したこともない。かといって無神論者というほど反動的でもない。ただなんとなく自然にそうしたことに縁が薄いのだろうとおもっている。そんな私でもときには信仰といった問題について気にすることがある。」そして「一木一草も神の姿または神の所有として登行するならば、」と書き始めて、山を神体と思うときに、山も人心も荒れないだろうと述べている。さらに現代は「迷信の形と一緒に眼に見えない何か大切なものを棄ててしまったのではないか。それで逆に大切なものから人は捨てられたような気がする。」と結んでいる。
 きらめくものが、ところどころに探し当てられる本は、心地よい。




Takapan
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