本

『ほんとうのリーダーのみつけかた』

ホンとの本

『ほんとうのリーダーのみつけかた』
梨木香歩
岩波書店
\1200+
2020.7.

 三つの文章が掲載されており、後者二つは比較的短い。雑誌『図書』のために書かれたもので、「今、『君たちはどう生きるか』の周辺で」という比較的新しいもの(2018年)と、「この年月、日本人が置き去りにしてきたもの」という、その三年前の文章である。
 もちろん、前者は吉野源三郎の本を取り上げたものだが、何も当時の研究をしようというものではなく、現代にそのスピリットが必要だということが言いたかったはずである。あの時代と、今とが似ているという危機感の中で書かれている。締め括りに、吉野源三郎が呟いたという、「人間を信じる」という言葉を掲げて結ぶ。信じたい、信じなければならない、というような思いと、この危機の情況をつくる力をそのままにのさばらせていてはならない、という思いとが交錯しているようだ。そして怖いのは、その勢力が善良な市民全体に襲いかかるのではなくて、市民がその勢力に次々と加担していくようになりやすいという構造である。
 そのことは、タイトルとなった講演「ほんとうのリーダーのみつけかた」が最初に、「同調圧力」という問題を掲げたことで、吉野源三郎と今とをつなぐ大切な契機となる。真実はこちらだと認識していながらも、周りのすべての人が違う意見をもっていたら、そちらに賛同してしまう心理実験を紹介するのだ。
 それは、「みんなちがって、みんないい」というおまじないのように称えられる、すばらしいキャッチフレーズの危うさの問題へと展開する。そんな通用しない合言葉を言うことで人々が同調するようになると、言葉自体への信頼がなくなり、言葉が形骸化するということを意味するから、よほど恐ろしいことが待ちかまえているのだ、という。
 言葉を骨抜きにする。これほど怖いことはない。言論の力を奪ってしまうのだ。言葉というものの大切さについては、著者はそれ以上説明を加えるようなことはないが、言葉を蔑ろにしてはならない戒めを受けたところで、私たちは後半の大切なテーマに移る。それが「なあたのなかのリーダー」である。
 犬がリーダーに従順になることで幸福感を得るという話から、仲間を得るということそのものは大切なことだという点を押さえる。しかし、何か急かされて、あるいは孤独に耐えかねて、「群れ」に加わるために心にもないことをしてしまうと、自らを嫌悪するようなことにもなるだろう。その自らを嫌悪する目というのは、いわば自分の中に、他人の目が入っているようなものなのだ、と著者は言う。それは、誰なのだろう。
 それは「だれよりもあなたの事情をよく知っている。両親よりも、友だちよりも、いわんや先生たちよりもあなたのことをすべて知っている。あなたが、そういうことをせざるをえなかった、あなたの人生の歴史についてもだれよりも知っている。しかも、あなたの味方、いつだって、あなたの側に立って考えてくれている。」「そう。あなたの、ほんとうのリーダーは、そのひとなんです。」
 著者はそのリーダーの正体を「自分のなかの目」だとして、適切な批判精神の必要性、昔から言う言葉で言えば客観的な目の必要性を説く。自律の精神のようなものというイメージも与えるものである。そしてその後そうした実例のような話を展開していくのだが、私は先の引用のところで驚いた。そう、イエス・キリストとは、そういうお方ではないだろうか。キリストのことを著者は話し始めるのか、と思ったくらいである。もちろん、そうはならなかったのだが、著者が言う「自分のなかの目」を、神のレベルで捉えているというのが、クリスチャンだ、というふうな理解もここから可能になりそうである。
 兵士やテニス選手の話を出して、自分の作品『僕は、そして君たちはどう生きるか』のシーンをも繰り出す。最後には「敗者になる」ことについて述べる。わざわざ誰も敗者にはなりたくないだろう。だが、「勝者になる」ことが本当に必要なのだろうか。周囲の声に賛同してしまった最初の例からすると、周囲に合わせておいたほうが「勝ち」なのである。大多数と違う意見をぶつけて一人立ち向かうというのは、「負け」の図式なのである。しかし著者は、「敗者」の徳を示す。このような意味で、ひとりで確信して立ち上がる人は、敗者でありましょう。しかし、その確信は揺るがず、楽になり、清々しい世界が開けてくるに違いない選択なのである。そういう世界だと、あの「みんなちがって、みんないい」という言葉も、命のある言葉として、輝いてくるに違いないのである。
 自分の中のリーダーの眼差しに恥じない選択をすること。自律という考え方を、一種の喩えによって、分かりやすく伝えてくれる講演であった。
 もうひとつの文章は、「この年月、日本人が置き去りにしてきたもの」であったが、岩波書店が戦後出版した『科学の事典』を題材としている。子供たちに自然科学を伝えようとの意気込みを、当時の文章を使って感じとることができる。新しい日本を築くための礎を、当時の岩波書店が築こうと努めていることが確認される。この事典はその後も改訂を続けられていくが、大人が子どもたちから逃げることなく、全身全霊で向き合っているのだと評価する。
 ここに、日本人が置き去りにしてきたものを、著者は覚えたのだ。だたそれをどのように表現してよいのか、まだ確信できていない。せめて、「ヒューマニズム」としか言いようがないものだ、ということにしているようである。あるいは、それが結論なのかもしれないが、少しばかり謎である。
 タイトルの文章は、いくらか長いし、話の展開も味わい深いものがある。小さなグループで、読書会をするのによいのではないか。そのとき、注意しなければならないことだけを挙げておこう。この本はこういうことが書いてあるよね、などという一人の意見に、参加者が同調しないように気をつけたい、ということだ。その同調圧力が危ないのだ、ということを、ここから学び知るのでなければならないからである。




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