本

『ほんとうの復興』

ホンとの本

『ほんとうの復興』
池田清彦・養老孟司
新潮社
\1050
2011.6.

 環境や人間に対して影響力ある発言をしている二人が、2011年3月の大震災からの復興について対談をした。また、それぞれの立場からの文章も収められていてバランスがよい。
 もちろん、人間として様々に触れていきたい事柄はあるだろう。教育のこと、生活のこと、人の悲しみを癒すにはどうすればよいか、これからの都市はどうなるのか。そこへきてこの本は、タイトルを「ほんとうの復興」としている。問題は「復興」であるらしい。表紙は実にシンプルだ。真っ白に大きめの活字が置かれているだけ。グリーンのラインはデザイン的なものであり、事実上内容に関する情報は何もないと言ってよい。復興とあるからにはやはり産業的なものなのだろうか。思わせぶりに載せられた「ほんとうの」が怪しい。何を以て「ほんとうの」だと言えるのか。そういう哲学的な議論を始めようと思えば始めることができる。が、これは著者たちの思い入れでもあるだろうし、何よりも販売戦略である可能性もある。この本の指摘する「ほかの」復興もまた、「ほんとうの」ものでありうると私は信じる。ここは一つのレトリックだとしておきたい。
 というのは、この本の掲げる復興とは、かなり偏ったある部門におけるものだからだ。それは一言で言えば「エネルギー問題」である。
 偏っているなどと言ってしまうと、著者たちの叱責を受けるかもしれない。このエネルギー問題こそ、復興の全体を支える基盤なのであるから、だからこそ「ほんとうの」と言ってよいのだ、などと言われそうだ。
 しかし、エネルギー問題がたとえ原理的基盤であったにしても、この問題だけで被災者たちの生活世界が復興するわけではない。どうしても社会的で政治的な作用が伴って考えられていく運命にある。
 そこで、このエネルギー問題も、もちろん政治的な要素がないなどと言うつもりはないが、科学的観点を重視した捉え方であると理解しておこうと思う。
 この「自然災害」としての視座を構えるところからこの本は始まる。これを政治的な問題として様々な立場の声に右往左往していると、問題の本質を見失うのだ、という。どこか理系的発想であるかもしれないが、この貫き方が、この本に一本の筋を通すことになる。
 それでいて、ちゃんと過去の災害が日本においてどのように扱われていたか、そこからどう復興したか、そうした社会的事実にも目を配ることを忘れない。そして問題を、原子力発電に移していく。それは、安全神話を、儲かる立場の者が現場を知らないユートピア的お役人と結びついて嘘で固めてきたファンタジーのようなものである事実を暴く。  感情的に、原発に反対という声は当然起こる。だが、そうなると日本の産業と生活は駄目になる。科学者らしく、火力なり水力なり他の発電との比較や、代替エネルギーの検討なども実に専門的でしかも分かりやすい説明が次々と展開される。人類の絶滅まで視野に入れたエネルギー論である。
 だから、たとえばこのままでは日本の産業は凋落するといった懸念を絶対に防がなければならない、といった制約もこの本にはない。政治的にはそれが前提となるだろうが、ここでは関係がない。また、エネルギーをどんなに贅沢に現代の人間が消費あるいは浪費しているかということも明確に描いてあり、それが人口増加につながったと指摘する。そこでエネルギー問題の解決は逆に人類の絶滅を早めることになるかもしれない、という見通しも告げる。これが科学者の見方というものであろう。誰かの利益や損失を気にして語るということがない。資源があとどのくらいあるのか、地球上の視点で語られるし、まさにそれはグローバルな視野である。火力発電への回帰は二酸化炭素の増大をもたらすにしても、では産業の衰退を招いてよいのか、と問いかけもする。しかしながら、そうなってもよい、あるいはそうなって仕方がなくなるという未来も描く。日本は人口からすれば今世界の60分の1くらいあるので、産業としても世界の60分の1を呈していれば問題はないのではないか、とも言うのだ。結局どうしてもエネルギー問題は永遠だとは言えないので、そのうち今のようなエネルギー浪費に基づいて描かれた経済発展というガラスの城をむしろ非現実的なものだと気づいた後には、穏やかにエネルギーを扱うような時代が近い将来迎えられているという可能性をも示唆することになる。
 東北の人々、福島の人々の生活心情には何一つそぐわない。それを助けようとする復興の問題とは言い難い。しかし、遠く人類の未来というところをある意味で定点に置き、現在をそこから照らそうとする、非政治的な観点からの復興論である。
 だから、意図が理解できないわけではないが、はじめに触れたこの本のタイトルや表紙のことがやはり気になって仕方がない。この本にあるのは、政治的な駆け引きやこせこせとした思惑の影響を受けない形での、人類的・地球的観点からの未来設計である。それを「ほんとうの復興」だと著者たちは言いたいわけであろう。だが、くどくならない程度に、表紙を見た人に、そのあたりについて示唆するだけの情報やヒントを与えてもよかったのではないかと思う。まだ実際に読んでいない人に対しても、一定の問いの投げかけができるし、本を手に取りやすくするのではないかと私は考えた。
 ただ、小説の売り込みに長けた新潮社である。だからこの本の売り方も、小説のように謎めいておいたほうがよいと思ったのかもしれない。それが新潮社のやり方であるならば、ここでど素人が何か口出す必要もないだろう。が、もう少し外に分かりやすく出していけば、売れ行きはもっとあるのではないのかな、と感じたまでのことだ。人々に考えてもらいたいような大切なテーマやヒントがこの本にはたくさんある。だから私は、たくさん読まれてほしいと思ったのだ。




Takapan
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