本

『福音書記者マタイの正体』

ホンとの本

『福音書記者マタイの正体』
澤村雅史
日本キリスト教団出版局
\2000+
2016.12.

 広島女学院大学のチャプレンだというが、一般企業に勤めた後神学部を卒業し、牧師を経てYMCAでも役を担い続けている。その著者が、論文という形でひとつのテーマを追い続けた。その博士論文を書物という姿で世に問うたのが本書である。
 ユニークであることには違いない。福音書を書いたとされるマタイ、それは本当にマタイという名であったかどうかも論議されているが、そのことを問題にしようとしたのではない。いったいこの福音書は何を目指しているのか、何故書かれたのか、その意図は何か、それを考えようとするのである。もちろん、従来も、その律法主義的な性格は注目され、ユダヤ人のために書かれたのではないかとか、マルコをずいぶん自分なりに修正しているものだとか、素人目にも分かる特徴めいたものはいくらも言われていた。だが、ここに「その執筆意図と自己理解」というサブタイトルと共に、記者マタイのそのリアルな姿に迫ろうとするのである。
 こうしたアドベンチャーは本当に面白い。それも、これまでの理解を、多くの注解書や研究書からまとめあげ、その中で自分の採用すべきもの、またそれらを越えて自分が捉えて見えてきたものを、私たちに示してくれる。聖書解釈も伴うが、思い切りその書いた人間の心理的な側面を考慮するなど、現代的な研究でもあるし、また、なるほどと思わせるところが数多い。
 まず少しだけ苦言を申し上げると、ちゃんと読める方には問題がないのだろうが、私は理解力が浅いため、その議論の過程で、どれを採用するのか分かりづらいことがあった。幾人かの研究者を軸として、いろいろなマタイ解釈というものを紹介していくれるのは有難い。読んでためになるというのはもちろんだ。だが、誰それはこう言っている、というだけの淡々とした説明が、量的にかなり多い。それも、ただ並べていくので、著者はもちろんその位置づけや、自分との同調や差異について把握しながら読み取っているのだろうが、一読者として、この研究者の考えは、著者が賛同しているのか反対しているのか、判断がつきにくいことがしばしばあった。そしていつの間にか、「我々は」こう考える、という話で進んでいくので、時に、あの研究者には賛成だったのかどうか、そのあたりを確かめるためにまた戻らなければならないこともあるようなのだ。可能ならば、自分の意見を明示し、それに対して誰それのこういう意見はここがこうだ、と言ってもらえると、読みやすいと感じた。賛同が、読み進む中では分かりづらいというのが、私の理解力の貧しさ故の感想である。
 しかし、最期に「結論」という章があることは、なかなかよかった。逆に言えば、これを最初に読めば、読みやすかったのかしら、とも思った。
 マタイの派は、必ずしも主流ではなかったのだという。すでにパウロがひとつの道を拓いている。エルサレム教会からすればパウロは異端的であったかもしれない。瑣末な活動のように見えたかもしれない。しかし、キリストの理解という点でパウロの影響は非常に大きい。マタイは、新しいイスラエルを、律法の遵守の中に見出そうとしていたのではないか。だから、マタイは異邦人を閉め出そうとしているわけではない。マタイの中には、ユダヤ人をその律法と共に大切に扱う考え方が間違いなくあるが、異邦人へ向けてのメッセージが福音書を締め括っていたように、異邦人を決して排除するものではない。共に新しいイスラエルの歴史をつくる、あるいは終末に備えるという気概に溢れたまとめ方がなされており、だから、パウロ寄りのマルコの福音書を参考にしながらも、様々にそれに手を加え、自分の理想の姿に合うように整えていったのだ。これこそ真のイスラエルなのである、と。
 では、後にカトリックともいえるローマ帝国のキリスト教世界でマタイが重視され、福音書のトップを飾るに至り、パウロと併存するまとめ方がなされたことや、そもそもそのようにして一つのキリスト教という形がどのように築かれていったのか。これは次の課題であるようだ。その中でも、このマタイの福音書の意義について、問い続けていくような姿勢を、著者は明らかにしている。
 文献一覧や、引用聖書箇所の索引など、書物として必要なサービスが十分になされており、配慮を感じる。脚注も、その頁の下段(本書は横書き)にあってすぐに参照できるというように、読者は気持ちよく触れていくことができる点はよかった。だが最初から読んでいくと方向性が見出されづらかったので、マルコの福音書のように、また最初から読み直してごらんよ、とでも言いたいつもりなのかしら、とも思ったが、そんな意図をもつ著者ではないだろう。いや、意欲的で私たちを楽しませてくれる研究であった。そして、勉強になった。私たちは、与えてもらった構図で、また改めて新約聖書を見ていくことができる。そうした楽しみをもプレゼントしてくれた。また次のテーマへ、面白い扉が開かれることを願うばかりである。




Takapan
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