『トラウマ』
宮地尚子
岩波新書1404
\840+
2013.1.
宮地尚子さんの別の本に触れて、誠実な書き方がなされていると思った。そこで調べると、本誌に出会った。評判もよかった。手に入れてから実際に読むまで少し間があったが、読んでみて、すぐに読めばよかった、と思った。それほどに、本書の内容は光っていた。何よりも、著者の真摯な姿勢がよく現れていたし、専門家ではないために分からないまでも、記されている内容と、その姿勢とに、感銘を受けた。
これを読むことで、読んだ人がまたトラウマを与えられるようなことになってはいけないのである。だがそれは難しい。提供側にそのつもりがなくても、受ける側が辛くなることがあるのは、世の常である。いくら専門家と雖も、その点が護られているわけではない。ずいぶんと気を使いながらの執筆であったことだろう。
一患者を相手に話をするのも大変だが、世に一般的に書き記すことは、様々な立場や様々な視線について意識して、先手を打って対処しなければならないからだ。
その「トラウマ」という言葉が日本でよく知られるようになったのは、1995年の阪神淡路大震災あるいは地下鉄サリン事件以降のことである、という。PTSDという言葉が紹介されたのもこのときである。私はその当事者である中井久夫先生や、その教え子である安克昌先生の本は幾つか読ませて戴いた。著者もその系列に入ると言ってよいだろう。「心のケア」という言葉が当たり前のようになったその後の社会であるが、それでもまだまだ私たちの社会一般の理解は決して十分なものではない。それは「目にも見えず、言葉にもなりにくいようなこと」である。
被害者が本当に辛かったら訴えればいい。黙っているということは、大したことではなかったのだ。――世間は、このように考えがちである。さらに、裁判でも、そのような判断を実際に下している。著者は、密やかな憤りを以て、この点を訴える。そうではないのだ、と。トラウマというものについての理解が、社会的にできていない。その怒りが、本書を生んだのかもしれない、と私は感じている。
しかし、本書は決して攻撃的ではない。極めて穏やかに、自身を抑えた形で紹介は進んでゆく。新書形式でもあるし、一般の人々が読むという前提であるから、専門的な言い方を極力避け、誰もが理解し納得できるように、トラウマについてのある種の伝道者として、誠実に振舞っている。
内容は、ぜひ直に触れて戴きたい。ここでは目次に従って、凡その内容をご紹介するに留める。
まず、「トラウマとは何か」と題して、その概念やPTSDについて説明をする。
次は「疵を抱えて生きる」ということで、トラウマが埋もれがちになること、また言葉にできない形で子どもの中にあることを意識させる。また、そこには「恥と罪」というものが関与している場合があり、回復を妨げることもある。また、周囲も当人を攻撃することがあるわけで、当事者でないから関係ない、では済まされないことに気づかされるようにしたいものである。
「傷ついた人のそばにたたずむ」とは、よく言われるようになったことである。しかし、実際「そばにいる」とはどういうことをいうのか。実際にトラウマの治療はどのように行われているのか、についても明らかにする。また、現実に、トラウマを負った人に対して、私たちはどうすればよいのか、についてもアドバイスを与える。
次に「ジェンダーやセクシュアリティの視点」から、いわゆるDVや性暴力についての事例をも追う。特例ではない。如何に日常の中に、そうした暴力が隠れているか。そしてまた私たちが見ないふりをしているか。あるいはまた、私たちが実際加害行為をしているか。問われて然るべきである。決して訴追的ではないにせよ、静かな著者の心の炎を感じるところ大である。
次は「社会に傷を開く」として、マイノリティの問題を説く。現在もなおヘイトスピーチが後を絶たない。ヘイト演説が政治的発言としてなされ、そこに票を投ずる人が増えてきているともいう。私たちは、傍からマイノリティを眺めているのではない。この私自身が、「加害」なしているのだ。自分が「正しい」という一点張りしかできない私たちの精神が、実は最も危険なものであるかもしれない点に触れている意味で、ここは「キリスト教会」が何を発言しなければならないか、教えてもらえるような内容ではないか、と内心思っている。自らの罪をも曖昧にしているような教会の姿からは、それはできないであろうか。社会運動をすれば教会の活動になる、とただ反対運動に声をひっそりと挙げるような教会の姿からは、それはできないであろう。
最後の章は「トラウマを耕す」という、ユニークな概念を提示する。その「耕す」という概念について、私が誤解を与えてはいけないので詳述は避けるが、私たちは「他者とのつながり」を取り戻し、「自分の居場所」を見つけて、生きて行く意味を感じることができるような「場」を築きたい。トラウマなるものを完全に消滅させることは不可能であるにしても、問題に「ゆったりと向きあって」、私たちが感じている、「言葉にならないもの、見えないもの」に気づくようにしていきたい、と著者は希望の道を提示する。
その後、詩や文学、それにマンガをも含めて、「アート」という部門にその道のひとつがあることを、丁寧に示してゆく。確かにそれは、言葉を超えている。居場所を生む。それを具体的に並べて扱うのは、本書の域を超えることであるかもしれないが、これだけのものを教えてくれたのは、著者がよほどそこに希望を見出していることであるように思う。
優れた本である。安心して、どなたにでもお薦めしたい気持ちがする。

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