本

『問う方法・考える方法』

ホンとの本

『問う方法・考える方法』
河野哲也
ちくまプリマー新書372
\840+
2021.4.

 高校生がターゲットである。が、大学生でも使えるだろう。いやいや、大人だって使わねばならないかもしれない。一応サブタイトルにあるように、「探究型の学習」のために、というものであれば、高校生が似合っているし、中にあるイラストもそうだと言えるが、最後は論文を書くルールが紹介されている。最近は大学生もここから分かっていないのではないかと思われる。
 それに、論点先取の誤謬などは、論理学も哲学も知らない学生たちには、何のことかというわけにはならないか。
 最初は、「探究」とはそもそも何であるかという説き明かしから始まる。意見を言うことと、その論拠を確かなものにすること、つまり発言に公的な意味をもたせるものとの間には、ずいぶんな隔たりがある。
 類書はかつてもあった。大学で論文を書くための手ほどきは、それなりの需要がある。それが最近は、もうついていけないほどの難しいものに見えるようになったようである。また、インターネットの利用により、かつてとは方法もルールもずいぶんと変わってきている。検索してコピペという程度でも、形は立派に作り出せるのである。
 本書にも、インターネットの利用は禁じられていない。しかしそれは、文献を調べるためのものであり、項目をすべてサイトから取ってくるというようなことは基本的に前提されていない。文献を探すツールはよく紹介されている。私も知らないものがあった。
 また、グループ調査という点が具体的に紹介されているのも、高校での探究学習が意識されているのであって、それはそれでよいと思う。文系的な問題意識と研究の仕方であるのは、もしかすると理系志向の人には物足りなく思われるかもしれないが、事実や法則だけの探究ではなく、広く人間社会に通用する、ある意味で答えのない探究というものは、特別な研究者だけではなく、誰にも求められて然るべきものである。日常のなにげないことでも、きちんと調べておきたいということはあり得るわけである。
 本書の独自性としては、「哲学的対話」というものを提言していることであろうか。もちろんソクラテスの対話篇がひとつの重要なモデルである。本当にそれは正しいのだろうか、と問い続けること、そして安易な解決の答えで終わるのではなく、問いはさらに続くという前提で問いと答えとを提示していくのである。プラトンの著作を知る人には、それだけでどういうことを言いたいのか百も承知であるのだろうが、これを高校生に伝えるというのはなかなか難しいだろう。ファシリテータという概念も、比較的最近持ち出されるようになったものであるから、高校生には時折初耳の事柄が多かったかもしれない。
 タイトルに二度現れる「方法」は、やはりこの「哲学的対話」というところにあるとすべきなのだろう。それはまさに「問う」ことであり、「考える」ことである。探究するとは、問うことであるというのは、哲学におけるひとつの常識であるが、これを若年層に体験させていくということには、私は賛成である。哲学の歴史や知識ももちろん備えてほしいとは思うが、この「方法」の常識を弁えておくとおかないとでは、何を研究し、また何を発言するにしても、全く違うものとなるであろう。
 後半では、文献収集とその扱い方、プレゼンテーションからレポートのルールへと、実用的な内容になっていく。
 最後に著者は、大学院の、文科系分野の不条理について訴える。本音としては、こここそが言いたいことだったのではないかという気もする。それを、大学の制度などを問題にするのではなく、高校生に探究とは何かを正面切って語ることで、将来この問題について発言できる人が育ってほしいという気持ちがあるのではないか、というふうに私には見えた。そのため、ギャップが大きいと思われる、高校までの学習と、大学での研究との間の橋渡しをする目的があるのだ、という言い方をしているのだけれども、やはり私は、著者が実のところどう思っているのであるにしても、今述べたような、人間そのものに関心をもった問いと思考の繰り返しの営みというものを大切にする学問や文化を育む願いを、この本に求めたいと思う。少なくとも、私は。




Takapan
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