本

『父さんの宝物』

ホンとの本

『父さんの宝物』
山浦玄嗣
女子パウロ会
\1,500
2003.7

「父親は一家の主である。その双肩にはまばゆい光が輝く。家族の長としての責任をしっかりと担い……」と始まるこの本は、読むほどに惹き込まれていく魅力をもっていた。8人の子の父として、頑固親父を貫く著者は、いわばただの町医者。しかも自身の父親は幼くして亡くなっている。どのようにして父親なるものを教えようというのか。それは、人間にはできないことかもしれない。父なる神を信じることで、できることなのだろうか。カトリックの信徒として、聖書に光を見出す著者のくりだす驚くべき聖書解釈も見ものである。
 とにかく私は、今年読んだ中で一番の面白さを覚えた。
 この著者、実は昨年、興味を持って聞いていたあるニュースの主役であった。ケセン語訳の聖書を出版したのが、この山浦氏だった。ケセン語とは何かとお思いだろう。宮城県気仙地方の方言のことをいうそうだ。著者曰く、イエス・キリストは、ガリラヤの出身であり、いわば異邦的な田舎に違いなかった。その弟子は、口を開けばその地方の出身だと分かるほどの訛りをもっていた。その地方で民衆を癒し、助けたはたらきが、都の言葉でなされたと考えるほうが不自然である。いわば、ガリラヤは、日本で言えば東北地方。東北は、日本のガリラヤである。気仙地方の方言で、イエスの語った言葉を訳すのが適当である……。「口さはいる物ァ、人ォ汚すものでァねァ。口から出はるものァ人ォ汚すんだ」「やい、杯っこの内側ァ美しぐ磨けや。そうしろば、外も美しくなっつェァ」という具合である。この訳のために、地元では多いに聖書談義が盛り上がり、ケセン語で聖書劇が展開されるなど楽しまれているとのこと。
 髪を染めた息子が帰宅するや、髪を切り落とせと挑む。だがこれは自分の好みだと言い張る息子に対し、父親は、「愚か者め。髪を染め、奇怪な姿で歩きまわるのが悪いなどといったおぼえはさらにない……」と言う。最後には、怒り狂い、はさみをもって一歩も引かない。
 こんな親父が、今もいるとは……いてもいい。いや、いなければならない。私も、そんな父親に近いものを、もっているのかもしれない。自分でもやりかねない気がする。  どこか時代錯誤的な、一途な父親とその家族の姿がここにある。私たちが見失いかけているものを、この本の中に見出すように感じるから、私は心を捉えられたのかもしれない。




Takapan
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