『友だち幻想』
菅野仁
ちくまプリマー新書079
\740+
2008.3.
入手したのは2018年の第26刷。よく読まれているということか。中古書店に複数冊あった。
著者は哲学系であるが、一応社会学を軸としているという。今回は心理学にも、また教育学にも匹敵するアプローチであるが、後者は著者のひとつのフィールドであるらしい。
それはともかく、この「友だち幻想」というタイトルは、126頁から結論的見解が記されている。あまりそれを明らかにしてしまうと、商売妨害となるかもしれないが、友だちという美名をつけようが、また実際美しい関係であったとしても、他者は他者であり、文字通り「完全な」理解がなされるという考えは幻想に過ぎない、ということだ。ある意味で当たり前のことである。そもそも、自分が誰か他者のことを百%理解したことがあるかどうか、自問してみればよい。あるはずがない。あると思っていたなら、よほどおめでたい人間である。
著者の考えの軸は社会学である。しかし社会不安などの現象を考察するには、心理学的な了解が必要である。それに加えて、日常的に学生と接触していれば、学生気質というものについてもいろいろ考えるところがあるだろう。副題にあるように「人と人との<つながり>を考える」というテーマは、社会学的な視野が確かに役立ちそうだ。
ちくまプリマー新書は、中高生を想定して編集されている。ふりがなも、「純粋」や「強烈」程度の言葉にも付けられているから、本書は特にその内容からしても、若い人たちが直接読んで然るべきものである。そうあってほしい、と著者は綴っているに違いない。
だが、私はアダルトの立場からこれを読んだ。若い人たちに接する機会がある以上、そして若い人たちを指導する立場にある以上、彼らの心理や社会的な意識というものに、無関心ではいられないからだ。大人の側の思い込みやかつての経験から、子どもたちはこうである、と安易な判断をすることができないからである。
文献を探す以上、そこには「他人」という訳があるが、著者は本書ではそれを一貫して「他者」として提示している。人が独りでは生きていけないこと、あるいは他者を通じて自分を知るということ、そうした点を当然のこととして踏まえて議論は動いてゆくが、若い人たちにとっては、そうしたことすら新鮮であるかもしれない。「幸福」というモメントを掲げて話は展開するが、友だちが多いほうがよい、というスローガンがそれでよいのかどうか、という反省をも含んでいる。
特に有益だと感じたのは、ルールを重んじる考え方もあれば、フィーリングを重視する考え方もあるという辺りのこと。ルールで縛るな、という方向でしか考えられないかもしれない早計な感情に対して、ルールがあるからこそ「自由」があるのだ、という楔は、若者のみならず、多くの市民に行き届いてほしいものである。
若者相手とは限らず、教育者に対する声も、実はあった。「先生は生徒の記憶に残らなくていい」というところなどは、生徒の立場に呼びかけているものではないように見える。ここは、「つい」書いてしまったのだろうか。全体的に、「君たち」と呼びかけて、その視野で話していたような本だと思っていたが、ここはそれを外している。本書の趣旨からすると、視点が飛んでしまったような気がしてならない。
しかしまた、話は若者目線に戻る。最後には、言葉とは何か、そして読書の意味など、教育者としての立場から、よい指針を示している。高校生ならばまだよいが、中学生に「ルサンチマン」はきついかもしれない、というように、特殊な用語を時折交えることがあるのは、ある程度仕方がないが、全体において括弧を多用して、専門的な用語、あるいは特別な意味をもたせて用いている語を一見して分かるように示しているのは、よいことであった。おしゃれでスッキリしたイラストも、とてもよい。
実は、本書は、某テレビ番組でタレントがよい本として紹介したことがあるのだそうだ。最初に、複数冊あったと述べたが、推測するに、テレビで推薦された本だからぜひ読んでみようと買って読んだ。だから一時非常に売れた。そして一定の割合の人が中古本の店に売りに行った。こうして、中古書店に複数集まった。こういうことではないだろうか。
だが一時的なブームに終わらず、さらに広く読まれ、若い世代とそれに関わる人々にとって、ひとつの常識として扱われるようになったら、世に聞く不幸な事態のいくらかは、確実に減少するに違いない。私はそう感じる。さらに読ませてほしい。

た
か
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