『賭博者』
ドストエフスキー
新潮文庫
\520+
1979.2.
入手したのは2015年発行版。この紹介コーナーでは、「発行年」はその初版を示すことを原則とするが、「価格」は、入手した発行年における定価を表すことを基本としている。アンバランスであるため、誤解が生じるといけないのだが、初版の価格を調べることは難しい場合が多いので、簡易情報として、これを甘んじることとしている。
賭博者はこのときで38刷を数え、よく読まれていると言える。だが、ドストエフスキーといえば、どうしても壮大な長編の大作が有名であり、そこには注目がいくものの、小さな作品まで十分に知られているとは言えない。それが、本作のように、長編の範疇に入るかもしれないが、比較的読みやすい作品も多々あり、かなり隅々まで愛されているのだ、ということを感じ取った。
ドストエフスキー自身、賭け事に生活を狂わされている。どうやら背景に、いうなれば悪い女に引っかかったための腹いせのような心理があったらしい、とも聞くが、ともあれ自らルーレットに明け暮れる体験をしているのは間違いない。それが本作のすべてである、というのは言い過ぎだが、構想から描写まで、十分その世界のことを描いているには違いない。
話では、すでに『罪と罰』の連載に入ったドストエフスキーが、出版社との契約の関係で、作品を書かねば大損をするような羽目に陥っていたことから、突貫工事並に1ヶ月で仕上げたのが、この作品である、という。
そこには、自らの境遇をフィクション化したようなところが見え隠れする。主人公アレクセイは、「将軍」の家庭教師をしている。「将軍」家の財産の危機が、遺産目当ての対象たる車椅子の伯母さんが登場し、ルーレットで狂ったように賭けまくる辺りから、物語は昂揚を激しくするようになる。
賭け事の怖さは、やっている当人は夢中で分からないらしい。周囲からは醒めた目でそれが分かるが、止めようがない、ともいう。2024年、大谷翔平選手の通訳をしていた人物が、ギャンブル依存に走り、栄光の座からどん底に陥ることになったのは、ワイドショーばかりでなく、国内ニュースでも度々トップを飾り世間の注目を浴びた。賭け事については、確かに従来から危険視されることがあった。しかし、それをモチーフにしたアニメやドラマも娯楽の対象となり、大阪を中心としてカジノ構想は進行中であるらしい。この通訳事件であまり騒がれなくなったが、法律が賭け事を禁止する中、実質公営ギャンブルは普通に運営されているし、政府を通じて大々的にそれが利用されようとするところへ、果たして日本人がどう対応し、どう動いてゆくのか、賭け事にいまは関係のない者たちも、関心を持つべきであろう。
宝くじというものもあるが、概ねギャンブルとしてそれで身を持ち崩すような社会問題となっているようではない。江戸時代の富くじなるものも思い起こすが、人々の射幸心はどう扱われ、何が問題とされていたのだろうか。
それにしても、ルーレットの場面の生き生きとした姿は、読んでいてワクワクする。それは不謹慎な言い方かもしれないが、迫真の場面だ、ということだ。さすが実体験から描写するドストエフスキーである。訳者も適宜注釈を入れてくれるので、読者としてはさほど困難を覚えはしない。
この臨場感は、本作がドストエフスキーの口述筆記によることに基づいているのだろうか。とにかく時間がなかった。リミットの中で作品を生まなければ経済的な危機に陥る。その意味では、ルーレットではなく、創作そのものが賭け事であった、と言えるのかもしれない。作品の誕生が、賭け事の成果なのであったとしたら、場面の描写が生き生きとしているのも十分納得がいく。
時代的にはもちろん古い環境の中での出来事ではあるが、人間心理をくどいくらいに書きまくるドストエフスキーを愉しめる物語であると言えるだろう。決してスッと分かりやすい描写ではないにせよ、重々しいテーマでないということで、比較的軽い気持ちで手に取ることができる一冊であったかもしれない。

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