『地底旅行』
ジュール・ヴェルヌ
朝比奈弘治訳
岩波文庫
\1020+
1997.2.
ジュール・ヴェルヌと言えば、どうしても『海底二万里』や『八十日間世界一周』が思い起こされるかもしれない。あるいは、『十五少年漂流記』は日本でも人気があろうか。
だが岩波文庫は、カバーのそでの部分に、このように記す。「十六世紀の錬金術師の謎の文字を苦心の末解読してみると、そこにはアイスランドの火山の噴火口から地球の中心に達することができると書かれていた。これが十三週間におよぶ地球内部への旅の始まりになった。ヴェルヌ(1828-1905)の最高傑作。挿絵多数。」
ヴェルヌの代表作らの中では、早く出版されたものであるようだ。文庫で455頁と、ボリュームもなかなかのものである。だが、そういう長さというものを感じさせることはなかった。わくわくして読み進むことができるし、実際次はどうなるのか、とぐんぐん読み進むことができるのは確かであった。
最高傑作であるのかどうかは私には分からないが、先ほど記されていたように、地底探検に行く物語である。語り手であるアクセルという人物は、かなり透明な存在に感じられ、ことさらに個性が現れるわけではない。それに対して、この旅行をリードするオットー・リーデンブロック教授は、この物語の「個性」というものを全部もってゆく存在であり、実に愉快である。短気で人の言うことを聞かない。絶対に自分が間違っているとは考えず、甥のアクセルを完全に支配している。そう、教授はアクセルの伯父であり、鉱物学者である。地底の様々な事象に明るい故に、この旅に出る設定となっている。
奇妙な文献を、伯父は手に入れる。12世紀のアイスランドの著作家の古本だが、それは手書き本であった。ルーン文字という、楔形文字のようなものだが、その本の中から、汚い羊皮紙が出てくる。伯父は、これをアルファベットに置き換える術は心得ていた。だが、不規則極まりない文字の並びは、まるで暗号であった。ところがやがてその紙から、アイスランドの16世紀の錬金術師の名を読み取ることができた。
二人はこの暗号解きにたいへん苦労する。だが物語は、まるで本当にこの暗号があったかのように、ああでもないこうでもないと、可能性を探る過程を丁寧に描くのだ。そして、アクセルがある方法を思いつき、実行してみると、意味のある文が見えてきた。それは、火口の中に降りれば、地球の中心にたどり着くというものだった。
ここまでで50頁を費やしている。
興奮した教授は、すぐさま度の支度を始める。そしてアクセルを同行させようとするが、さすがのアクセルもそれにはついて行けないと抵抗する。そして何かと屁理屈をつけるようなことをして、あるいはまた圧力をかけて、ついに二人は地球の中心に向けて旅立つことになる。
まず向かうはアイスランドだ。そしてレイキャヴィクで教授は、一人の男と交渉する。寡黙なハンスは頑強で、その後よきガイドとなる。伯父のわがままにもただ忠実に従い、二人を支えるのだ。
ここまでで既に130頁近く進んできた。さあ、こうして3人は、火口から降りてゆく。そこで待ち受けるものは……それは読んでのお楽しみとしよう。
地下は熱くなるという科学的知識に反して、3人は無事にどんどんと地球内部に入ってゆく。方角は、コンパスでかなり正確に計算できるし、進む距離も細かく計測されている。簡単に何百キロも数えて進むなど、とても信じられない事態が続くが、そこは子ども心で読んでみたらいい。もったいぶって、地質学的な説明を時折交えるが、ストーリーにはさして関係がない。まるで子ども向けのマンガのように、科学的に何もかも分かっているし、食糧や灯などのエネルギーも、全く問題なく扱える。問題なのは、ただその冒険の行方であり、時折訪れるピンチに対してそれをどう乗り越えるか、ということだけだ。読者はただわくわくすればいい。
特に、アクセルが迷子になり独りで野垂れ死ぬのかと覚悟する辺りは、そのクライシスの最たるもので、読みながらこちらも思わずドキドキしてしまった。
冒険の描写もさることながら、読者は時に、自身の心の中に沈み探るような気持ちになるかもしれない。だからこそまた、共にドキドキもするし、ワクワクもするのであろう。それを助けるのが、挿絵である。ペン描きの線で描かれるイラストは、物語の情況をよく伝えるし、文字だけでは味わえない事情をよく伝えてくれる。
これはなかなかの作品である。面白かった。

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か
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