本

『小さな詩、大きな力』

ホンとの本

『小さな詩、大きな力』
増田修治
柏艪社
\1260
2004.5

 埼玉の小学校教諭を務めるベテラン教師。子どもたちの心の中にあるものを「詩」という形で引き出してゆく。テレビなどでも紹介されているので、先生をご存知の方もいると思う。
 ここに例を挙げきれないくらい、たくさんの宝物が詰まっている。それは、文芸的な「詩」としては魅力のないものかもしれない。しかし、子どもたちが自分の見たもの感じたものを、言葉という方法で表現したものとしては、かけがえのない輝きをもつものである。
 家族の、とんでもない姿が暴露される。描かれる母の姿、父の姿は、ピエロみたいだ。表を着飾ったような建前の姿はどこにもない。よくぞこんな赤裸々な作品が提出を許されたと思うほどだ。だから、これが教師の手に渡っているということそのものに、大きな驚きをもつ。それほどに、この教師の方法が認められ、賛同を得ているということなのだろうか。
 ユーモアたっぷりの作品の数々、ハッとさせられる真実の視点、問題を抱えた子が詩を書くことによってクラスに開かれていく過程、さまざまな感動がここにある。
「ひいおじいちゃんが死んで、/おそう式に行った。/ひいおじいちゃんの家なのに、/ひいおじいちゃんがいない。/ぼくは悲しかった。」
 3行目の言葉が、どうして生まれたのか、私は知りたいくらいだ。
 だが、たいていの詩は、底抜けに明るい。子どもたちの、生きる力が一歩ずつ前進していく様子が、この本の中を逞しく流れている。それに後押しされて、読む側も勇気が生まれてきて歩き出せるような気がしてくる。
 不思議な気持ちだった。言葉そのものはどちらかというと淡々としていて、心を揺さぶるという強い力を感じない。しかし、たしかに何か私を支えるようなものがそこにある。
 その秘密は、終わりのほうの章にあった。「現代の子どもを考える」で、2003年に大きな関心をもってとらえられた少年事件などを取り上げつつ、「命」の学習のためのヒントが解説されていた。命を大切にする眼差しが、この本のバックボーンにあったのだ。自己肯定感がもてない子どもたちの姿が、子どもを守れなくしている、命を軽視するような社会を生み出している、という指摘は、私の心にずしりと響いた。
 さらに、そのために提案もなされている。子どもを社会化する、つまり社会の一員として位置づけることから始めること。子どもたちが有している透明なシールドは、他者が見えないために他者との関係を見失っていることの現れだが、それはむしろ大人たちの関係が見失われているためだ、という大人の責任を自覚して立て直すべきだということ。そして、男子の事件として成立する暴力事件の背景にある男らしさの幻想を指摘して、ジェンダーフリーの考えが一つの鍵になること。
 しかし、最後に控えた、「あとがきにかえて」というサブタイトルの付いた「子どもに癒されている自分」の章は、こうした提案をも超えていた。私はそれをここで明らかにするつもりはない。読者が各自、この章と「対面」して戴きたいのだ。著者が、どうして「命」を教育の根幹に置くのか、著者の生い立ちから解き明かされるのだ。私は、涙なしには読めなかった。
 これがあるから、この本の中に、不思議な魅力があったのだ。それが、よく分かった。




Takapan
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