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『知はいかにして「再発明」されたか』

ホンとの本

『知はいかにして「再発明」されたか』
イアン・F・マクニーリー:リサ・ウォルヴァートン
冨永星訳
ちくま学芸文庫
\1500+
2025.12.

 アレクサンドリア図書館からインターネットまで。そういう副題がついているが、確かにその通りだ。「知の歴史」と呼ぶに相応しいものだが、これはあくまでも西洋史に於ける問題であって、他の地域は、時折アジアの一部について言及される程度であり、しかも西洋との関係の中でのみ語られると言うべきである。だから、これを以て「人類」が語られている、とするのはやや横暴であるだろう。しかし、現代世界の大勢はこの西洋文明に基づくものをスタンダードとするようになっている。国連に集まる各国代表は、スーツ姿が標準である。だから、大まかに言って、人類の知について、改めて見つめる機会をもつ試みがここにある、と見てもよいだろうと思う。
 本書は2010年に日系PB社より刊行されたものを、改訳を加えた上で15年後に文庫化したものである。原著は2008年である。副題にある「インターネット」も、その時代までに留まることは了承しておかなくてはならない。というのは、その後AIが生活にまで流入してくることまでは、本書は予見していない。生活の隅々にまで、もはやスマホなしにでは社会生活もずいぶん煩わしくなるという現状を把握しているとは言えない。だから私たちは、本書の続編の中を生きている、ということになるし、続編を私たちが記すことになるわけである。
 本書は文庫とはいえ、本文だけで300頁を超える。その後も60頁余り、解説や文献資料的な注釈が加わり、なかなかの厚みである。議論の展開は、次の予告めいた動きやまとめを程よく示すなど、読みやすい配慮がなされているため、心地よく読み進むことができた。それから最後に、メディア論の長谷川一教授の「解説」を読んだわけだが、この解説の分かりやすさがまた振るっていた。各章の要点が簡潔に述べられており、まるでここだけ読めば本書のエッセンスは得られるのではないか、と思われたのである。
 さらに、本書の議論の意義や課題も短く触れられており、そこだけで、ずっと読んできたことが手際よくまとめられてゆくのを感じた。もちろん、それは実際に読んだからであって、本文を読まずして納得できるようなものではないとは思うが、ちょっと悔しい思いも抱いたのは事実である。
 その解説でも触れられていたが、本書はやたら批評をしよう、という役割は意識していない。否、意識して、批評をしないように心がけているように見えた。これはこうであった、と事実のみをなるべく閉めそうとする。推測を述べるにしても、歴史を踏まえて、できるだけ客観的に筋が通るように考慮しているのだと思う。ここでは、とにかく実際どうであったか、ということを提示する役目を果たすべく努めているように見えた。
 「知」は、クーンの言う「パラダイム」を更新しながら現代に至る。それはただ抽象的に「知」が発展してきたのではなく、時の社会情勢や世界史の出来事に影響されながら、「知」が生き延びようとして変化したもの、あるいは変革したものであると言えよう。
 そうして西洋史は、六つの「知」の段階を経てきたのだ、と著者は言う。簡潔にそれを示した章題があるので、それを並べてみよう。(本文は縦書きで漢数字であった)
  図書館――紀元前3世紀〜西暦5世紀
  修道院――100年〜1100年
  大学――1100年〜1500年
  文芸共和国――1500年〜1800年
  専門分野――1700年〜1900年
  実験室――1770年〜1970年
 歴史を知る人出あれば、これらがだいたいどういうことを意味しているか、見当がつきそうなものである。と思いきや、著者も断っているように、ひとつだけ馴染みがなく、予想しづらい項目がある。「文芸共和国」である。これは、いわゆる国家ではない。当時の文化のひとつの形であって、手紙のやりとりのことを謂う。
 確かに。カントもそうだが、その頃の哲学者や文化人は、やたら書簡を遺している。全集の一つの巻は、書簡だけで埋め尽くされるほどだ。いまでいえばメールでもあるのだろうが、書簡というものが、ひとつの大きな「知」の柱を形成していたという指摘は、言われてみれば確かにその通りと認めざるを得ない。しかし、それほどにこの時代の書簡には「知」を決定づけるほどに大きな力があるとは、あまり認識していなかった。やはりここは確かに面白かった。
 となると、新約聖書の「手紙」も、たぶんパラレルに理解できる部分があるだろう。その中には、たんなる私信というよりも、広く人々に宛てたものがあり、さらにそれは今でいう手紙というよりは「説教」だろう、と思われるものもある。だが、確かに手紙というものは、今の感覚のものではなく、論文のやりとりのような、また時に政治に影響を与えるような、重要な「知」のメディアであったのだ。
 その他のものについては、ここで詳述するわけにはゆかない。意見の押しつけをするよりも、まずは情報を提供することに徹している本書であるから、これは今後もなにかと良い資料となり得るだろう。何かと現代慣れ親しんだ「知」のハビトゥスからなかなか抜ける想像力さえもてないのが実情ではあるが、私たちはぜひ、歴史の中の一点に立って眺め、その空気を吸いたいと願わねばならないだろう。




Takapan
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