本

『治療文化論』

ホンとの本

『治療文化論』
中井久夫
岩波現代文庫
\1160+
2001.5.

 2022年、中井久夫先生が亡くなった。いくつかの雑誌が追悼特集号を出し、テレビ番組でも取り上げられるようになった。阪神淡路大震災での働きを覚える人々の一人として、またそのギリシア語の素養からエッセイストとしての切れ味へとの一ファンとして、私も惜しむ思いで胸を痛くした。
 Eテレの番組「100分de名著」で2022年末に、中井久夫先生の本が何冊か紹介された。講師の斎藤環氏が、テキストの中でこの『治療文化論』をイチオシしていたため、未読だった私は、早速注文して取り寄せた。内容は、岩波書店のシリーズ『精神の科学』講座の一冊であり、後に「同時代ライブラリー」としても出版されていたものである。精神医学の、かなり専門的な内容であったにも拘わらず、門外漢の私にも興味深く読めた。ご本人の筆の巧さによるものであろうと思っている。
 番組の中で紹介されるエピソードも、実際にその箇所を読んでいると、思わずニヤニヤしてしまいそうになる。自分の身の上を、他人のように描いているというところも、そこを読んだ者からすると、なるほど、と思える。確かに、本の中では、誰か他人のエピソードのように見える。しかし、解説者は、別の証言から、それは中井氏自身のことだということを明かす。
 精神的な問題は、ご本人も抱えていたのだ。否、だからこそ、患者のことに何かしら通じる糸をもっていたと言えるのではないだろうか。さらにいえば、問題を抱えていない人というほうが、いないなどということはないとも思える。
 しかしそれはまた別のことだ。本書の貢献は、「文化依存症症候群」というものの指摘と、それをさらに進めたような形で「個人症候群」という捉え方を、世界に訴えたということであろう。精神医学は、全世界に普遍的に適用できるような理論や治療をもつものではない、ということだ。その文化特有の問題があるというのだ。だがこれは、当たり前と言えば当たり前である。日本人の考え方や生活様式があり、習慣に基づいた対応がある。たとえば指摘されているように、対人恐怖症は、欧米においてよりも日本におけるほうが、明らかに頻出するものであろう。
 それを、個人的にも精神医学的には区別して捉える必要がある、という思い切った主張がなされる。下手をすると、それではもう医学などと言えなくなるではないか、治療法が一人ひとり違うようなものとなっては、対処の仕様がない、と言われそうな事態となる。
 そのうえ、「創造の病い」となると、学問的あるいは芸術的に、人類的貢献をした人物によく見られるケースであると言い、何事かを創造するような精神の持ち主には、それぞれ何かしらの問題がある、というようにもなる。確かにそれは納得がいく。けれども、ただそれだけの指摘であれば、素人でもできる。ここには、精神医学の領域に通用するような話がもちかけられてくる。もちろん、元々一般書であり、専門書籍ではないわけだから、それなりに人々に受け容れられるような書き方がされている。だから、私でもそこそこ読めたということになる。天才には、それなりに尋常ではないところがある、とは言いながらも、科学者はともかく、宗教者についての指摘は、本書の中でも生々しいところである。
 中井氏の育った地の、比較的近くに、そういう人がいたことが、臨場感に満ちた説明を本書の中にもたらしている。天理教の中山みきである。かなり立ち入った説明がなされており、ちょっと聞いたことがある、という程度の私には、なかなか興味深いエピソードとして読めた。
 それに関して、シャーマニズムという職業的な治療のあり方に触れるときに、キリスト教も持ち出されてきた。そう、イエスの「癒やし」である。だが、話はキリスト教の歴史の中でのことに向かい、告解を行うカトリック教会の機能や、エクソルシスト(映画で有名になったエクソシスト=悪魔祓い)のことに触れられていた。
 精神医学に対する医師は、精神的な疲労を患うという。尤もだ。たまにそのような傾向のある人の相談を受けるだけでも、私たちは疲れを覚える。それを、一日中一年中、様々なそのタイプの人と接触しなければならないのだ。ただ、内科や外科のような医師と比較するということに、そもそも無理がある。いったい、精神科医こそが、患者を治すというような立場にあるものだろうか。周囲の人々の対処や理解が、大きくものをいうのではないだろうか。しかし、西洋では牧師や、いくらか特定のキリスト教教派に関わる人が多いという話も会った。
 なお、著者本人による長い解説や、同じ分野で活躍する江口重幸氏の丁寧な解説があり、読み応えがあることを付け加えておく。また、私は直前に『個性という幻想』を読んでいたが、この著者サリヴァンについて本文中に幾度も言及があったため、さらに興味深く読むことができた。なんでも少し触れておくと、世界はつながりをもって迫ってくるものである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります