本

『「時間の使い方」を科学する』

ホンとの本

『「時間の使い方」を科学する』
一川誠
PHP新書1054
\800+
2016.7.

 新聞の一面の下部に、しばしば本の紹介広告がある。新聞にもよるだろうが、我が家に届けられる新聞は、ここにはあまり大した本は見られない。子ども向けのよい絵本の紹介は楽しいが、他は、殆ど私が読むことのないはずの類の本である。そこへ、偶々目に止まったのが本書であった。これは、読みたいと思った。
 そもそも私が哲学の存在に気づいたのは、この時間というテーマによるものであった。時間論には様々なアプローチがある。哲学的あるいは後に知る神学的なものもあろう。物理学的なものはそれとはだいぶ違うが、もちろん重要な探究方法である。だがまた、心理学的という分野もあったはずで、私にとりそれは見落としている部門でもあった。この新書という形式は、ほんの紹介に違いないのではあるが、その分、著者は一般向けに分かりやすく、しかもエッセンスを伝えているはずであるから、確かにパッと手に取って重要なことを知るためには都合のよい形式である。一日か二日で読める程度であろうから、ぜひあらましを知りたいと思い、珍しく購入した次第である。
 実験心理学という言い方をするのだそうだが、著者は、現にヒトはどうするものなのか、を研究しているものと言える。その根拠がどうだというところにはこだわらない、というのもおそらくよいやり方だ。原因を探るよりは、事実上どういうことなのか、それは近年様々なところで考慮されており、必要性を求められている。たとえば道路の渋滞は何故起こるのか、これを哲学的に議論しても、実際の渋滞解消に役立つとは思えない。ところが、ヒトが車間距離を詰めるとブレーキを踏む機会が多くなり、ブレーキランプを目の前に見ると自分も踏まなければならないと感じ、これが連鎖的に反応すると、慢性的にブレーキを踏んでいるようなことになりかねない、といった調査がどうやら事実として適用することができるということが分かると、ドライバーに対して、車間距離を開けると渋滞が減るのだ、という具体的な説明をすることができる。
 時間の長短を、時計という機械で計るのが当たり前になっているが、人間心理はそういうものではない。楽しい時はあっという間に終わり、嫌な時間は長々と感じる。心理的なものとして説明することは多くの人がこれまでも試みてきたが、果たして納得されうるものであったかどうか。
 時間経過に関心を及ぼすことがあるほどに、時間を長く感じるといった心理的な側面とともに、生活の中での食事のとりかたなどの与える影響を告げた後、著者は、時間を活かす道を提供する。実はこれが私たちにとり役立つこと、間違いない。予定通りいかないときにはどうすればよいのか。仮眠というのは有効なのかどうか。ひとを待たせても怒りの少ないような対処の仕方があるのかどうか。そして、自分の人生の時間をよりよく満たす考え方はあるのかどうか。
 こうなると、まさに人生論となる。学問が人生を変える。なるほど、そうありたいものだ。与えられたクロノス(時計で計る時間)は同じ限りのあるものであっても、カイロス(特異な性質を帯びた機会)は別の次元で決まる。歴史の時間の中に置かれた自分の、自分にとってのみ特別な時間というものが、意味のあるものであること、そこに人間は幸福を感じるのかもしれない。そうすると、この本が扱い、示そうとしている世界は、人間の最大の問題につながるものであるのではないかとも思える。宗教でさえ、ここから説明ができるかもしれないのだ。
 もとより、説明され尽くすことはないだろう。一つの、ヒントになるのではないか、というふうに捉えておこう。自我からすべてを見ることが、宗教ではないのだから。
 それにしても、人生でもっと得をするコツがここにあるとするならば、もっと話題になってもよい面白い本ではないかと思うのだが。




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