本

『時間の言語学』

ホンとの本

『時間の言語学』
瀬戸賢一
ちくま新書1246
\760+
2017.3.

 私の関心のある分野についてだが、私が専ら物理的・存在的に時間とは何かと問おうとしていたのに対して、これは心理的な側面だけを扱う。心理そのものではなく、それの現れとしての言語から考察するのである。この視点そのものが私には新鮮であった。なるほど、ここ百年ほどの哲学的方法として、これはある意味で現代で本質的な営みであると言えるだろう。
 とにかく面白かった。気になるタイトルだったのを、発行されて半年してようやく手に取ったのであるが、新書としての魅力を十分堪能できた。専門的な知識がなくとも理解ができるように易しく書かれてあるということだ。
 時間についての良い本にはいろいろ出会ってきた。哲学的な議論もあるが、物理学的には当然全く違う説明であるし、社会学的な良い本もあった。それを、言語学的アプローチに絞って、つまり私たち人間が時間というものをどのように、つねに・すでに捉えているのかを分析しようという試みは、私にとっては初めての探究と受け止められた。
 著者は、国語辞典の定義を検討する。まるで中学生のような安易なアプローチかと思いきや、そうではない。その説明が実は大きな意味をもつ。言語のプロが時間をどう定義すればよいと格闘したか、これをしばらく徹底的に検討する。すると、時代的な背景もあるかもしれないが、辞典編集者の必死の迫りを感じてくる。そもそも時間とは何か。これの説明は、時間をどう捉えているかの証しなのである。
 このように、人間が使う言語の背景に迫るのが本書の目的である。時間とは何かという実体を明らかにするものではない。しかし、人間はどのように時間というものをそもそも何だと思っているのか、そこから初めて見えてくる景色もあることだろう。私もまたその人間のひとりなのだ。
 すると、どうやら時間は流れというメタファーのもとにしか人間は思考できないようだ。ここから始まり、どうしても空間的語彙を以て表現せざるをえないことを明らかにする。ではその流れということだが、時間はどの方向に流れているのだろうか。
 この知的冒険は、ぜひ関心をお持ちの方ご自身が本書を辿って味わって戴きたいのだが、私もかねてから奇妙に思っていた点を徹底的に問題とするその筆致に、ぐいぐいと惹きこまれていくのであった。
 流れの中にいる私たちが共通理解している言語は、日本語に限らず殆どの言語でこのように言うと著者は言うす。「二日前」は過去、「二日後」が未来。過去が前で、未来が後ろである。この流れの方向は、明らかに、未来から過去へ向かってのものである。これは時間の流れが、未来から過去へ向けてのものであると人間は捉えていることをいろいろと意味する。「動く時間」は、未来から過去へ流れているとしているのだ。この意味では、未来は「うしろ」である。
 他方、私たちの人生の「前途」は未来であり、「後ろを振り返る」のは過去のことであると理解している。ここに、前後が入れ替わっていることがお分かりになるだろうか。未来が「前」だと口にしている。よく混乱しないものである。この言明は、実は「動く自己」からの記述なのである。人は前を向いて流れ来る時間の中を反対向きに歩いている、という捉え方を言語はしている。このことを著者はここに見出している。
 他方、時間のメタファーとして近代から支配的になっているのが、「時は金なり」だと指摘をする。これが、恰も当然の真理のように振る舞っている現代社会の問題点を強く挙げるわけである。本書の最後では、端折った観は否めないにせよ、時を、金でない別のメタファーで捉える提案をしている。実のところ著者が一番言いたいのはこういう辺りではないかと思われる。
 しかしここに、私は聖書のメッセージを見るような思いがしたのである。時間の感覚は、たしかに言語に現れていると言えるだろう。私は、ヘブライズムの時間にも関心をもっていたが、著者が挙げた別の特殊な言語の例の部類に、ヘブライ語の考え方も入ってくるのではないかと感じたのである。つまり、過去を前に置き、未来を後ろにおき、見えない未来に背中を向けて生きているというのが、聖書の中に潜む時間概念であるという指摘がある。これは本書の時間の流れと人の歩く向きからすると、例外的な捉え方なのだ。その生き方からすると、過去は見えるが、未来は見えない。だからこそ、メシアを待っていると言えるのかもしれない。言語の捉え方は、信仰の意味の理解にも大きく影響するのである。
 「さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ」(ハガイ1:18・新改訳) なにげない訳のようであるが、この「前・後」の言語感覚を一度意識するだけで、違った風景が見えてくるのではないだろうか。




Takapan
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