本

『私の胸は小さすぎる』

ホンとの本

『私の胸は小さすぎる』
谷川俊太郎
集英社文庫
\540+
2019.6.

 詩人の谷川俊太郎さんとの出会いは、スヌーピーのコミックスだった。角川が買い取る前は鶴書房から発行されていた。ピーナツシリーズの訳が谷川俊太郎さんだった。実に簡潔に、子ども心にも響くものだった。その後英語を学び、英語と比較すると、さらにそのすっきりとした訳の技術に驚いたものだった。
 真底、言葉というものに命を張っている、そこに命があふれている、そんな詩人だと感じていた。
 この小さな文庫は、「恋愛詩ベスト96」というふれこみで、特別書き下ろしを1編加えた作品集であるが、中国出身の文学博士・田原(ティアンユアン)氏が作品を択び、収録・配置したものである。そして、テーマは「恋愛」。人の心の最も不思議なところに斬り込むようなそのカテゴリーにおいて、谷川俊太郎はどのような言葉を用い、描いているのだろうか。世間の歌詞だった、チアソングでなければたいていは恋愛ものではないか。これはまとめて読む価値がありそうだぞ、そして私は大好きだぞ、と思いながら新しく出たこの詩集に手を出した。
 1953年の詩集から、ほぼ時代順に並べられている。タイトルにもなった『私の胸は小さすぎる』は2010年のものである。その中から幾つか、編者の思いのままに集められている。
 何気ない言葉がそこにあるだけ。だが、その言葉の組合せによって、なんと新しい視点が目の前に与えられ、新しい思いがわき起こってくるのだろう。これは、かつてオフコースの小田和正の詞を評するものでもあった。難しい言葉も、気取った言葉もない、しかしそれらの言葉が並ぶことにより、心が締めつけられるように感じられてならない。詩人の仕事は、なにも新語を創出することではなく、このように誰もが知る言葉で、その言葉の意味を超えた世界があることを示すことなのだ、というふうに私も素朴に信じるようになっていた。
 タイトルの「私の胸は小さすぎる」は、決して幼女の成長しない胸のことを言っているのではない。そしてこのフレーズだけからしても、私たちの心にわくわくとした大きなものへの憧憬の思いが芽生えてこないだろうか。恋の心は、これまでの自分に収まりきれないものを自分の中に脇起こす。それは自分という小さな枠の中にあったもの、またこれからあるであろうものというレベルを超えた、完全に外から投げかけられる光を知ることとなり、そこに惹かれていくことにもなる。胸がいっぱいになる、と私たちは言う。いっぱいにさせられてなお、収めることのできないものがあることも分かる。喜びが溢れる、とも言う。それでもなお、零れても零れても注がれるものを覚える。この心がもっと大きかったら、それらを収めることができるのに、という方向に心が進むのは、私には新鮮だった。「あなたのすべてが容れられるように」願い始める。この胸は、小さすぎるのだ。でもそれを悔やむのでもなく、小さすぎる胸の故に、あなたの大きさというものを感じられてうれしいという思いも確かにある。確かに、あなたのすべてをここに容れたいのであるにしても。
 お分かりだろうか。私はイエス・キリストを前にしても、そんな思いに実は浸らされていたのだ。そのことに気づかせてくれるのだ。
 それにしても、言葉の世界に、配慮や道徳というものに縛られるものは存在しない。恋愛詩であるだけに、かなり露骨な表現も混じってくる。それが有害だなどと言うつもりはないが、中学生や小学生にはちょっと目に触れるのは相応しくないのではないか、と思われるような詩も多々ここには含まれている。恋に憧れた子どもたちの手にも簡単に触れられてしまうので、どうなのかなぁという気持ちもちょっとある。
 それから、こうした詩集は、さらさらっと読んでしまうことも可能なのだが、それは絶対にもったいない。私は一日に2つくらいをゆっくり味わい続けることにした。日に日に楽しんでいたというわけだ。これはお勧めしたい。どっぷりと、恋愛感情にときめくような日々を過ごすことができたのは、これを朝読んだからだ。よかったですよ。




Takapan
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