本

『知恵の輪読本』

ホンとの本

『知恵の輪読本』
秋山久義
新紀元社
\1,600
2003.8

 書店のレジの近くに、しばしば知恵の輪が置かれている。うちの子にとって恰好の獲物となっており、書店へ行くと、そこにはまる。キャストパズルと呼ばれる、一個千円近くする代物でも、見本が置いてあるのが命取り。二人は店頭でそれを解いてしまう。もちろん、一度で解けるわけがない。週に一度でも店に行けば、何度目かには解ける可能性があるということだ。こうして時を経るとともに、見本分の数千円分が無料で提供されていくことになる。知恵の輪というのは、解けた満足があればよいのだから、店頭ででも外れてしまえば、購入はふつうしない。果たして儲かるのだろうか?
 その知恵の輪に関する本は、意外と少ない。だが、金属製のものや木製のものなど、玩具店や書店など、かなり目立つところに出回っている。好きな人は決して少なくないと思われる。もっとこの手の本は出せば売れるのではないだろうか。
 この本は、そもそも知恵の輪とは何かに始まり、古典的名作から知恵の輪のさまざまな分類を提供し、中国や日本での歴史にも記述は及ぶ。そして購入法から、ついには自分で製作する方法まで詳述されているから、もうこれ一冊でファンは満足するようなタイプである。
 著者は、学研の雑誌製作に携わってきた人であるから、たぶん私も幼少のときお世話になっている。ということは、パズルに関する研究はまったくの趣味だということになる。いい生活をしている。その道のプロという生き方もあるが、道楽にこれだけの厚みとオリジナリティをもてるというのは何とも羨ましい。
 知恵の輪あるいはそれに類する解決パズルというものは、一度解いてしまえばある意味でそれで終わりなのだが、それでも、一週間かけてやっと解けるなどというものもあるし、一度解いて再び解くのが楽しいというファンもいる。
 しかしまた、見向きもしない人もいる。面倒くさい、何が面白いのだろう、などと。それも一理ある。たしかに、パズルを解くということは、完全に無駄なことなのだ。
 子どもたちの中にも、この性格は分かれる。パズルを目の前にして、関心を示さない子と、ようし解いてやるぞと意地になる子と。
 どちらが良いとか悪いとか言うつもりはないが、私はパズルを解こうとするタイプの子に、魅力を感じる。何か問題が生じたときに、それを解決しようとする意欲が湧くことにつながると思うからである。学習成績は、おそらくこのタイプの子に軍配が上がるはずだ。思考力、解決力は明らかにこのタイプが優位にある。――が、もしも受験が暗記と表面上のテクニックに留まるとしたら? そのときは、パズルを解いてやろうなどという意欲をもたず、まずパズルの解答を求めてそれを覚え、分かった顔をするタイプのほうが、成績が上がることだろう。そうなると、受験で勝利するのは、パズルを考える子ではなくて、考えずに解答を覚える子ということになる。はたして塾ではもしかすると後者のタイプを生み出してはいないか。それは私の思惑とは反対となる。答えばかり先に提示してはならないことは分かっているのに、効率を考えると、どうしてもそういうふうになっていく。発見の喜びとか経過の苦労とかは不要になるのだ。
 知恵の輪という話題で、ここまで考慮する必要はないかもしれないが、知的刺激を受けてそんなふうに思いが走ってしまった。また、ある意味でこの本自体も、解答を先に示すようなタイプとなりはしないか、と余計な心配までしてしまって。




Takapan
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