本

『チビッコ三面記事』

ホンとの本

『チビッコ三面記事』
串間努
筑摩書房
\1575
2004.7

 少年犯罪がセンセーショナルに取り上げられる一方、それが「またか」と不感症的に扱われるようにもなっていく。でそのうち残虐な犯罪の容疑者が未成年だとかいうニュースがあって、改めて少年犯罪の刑罰や報道のあり方などが議論されるようになる。
 この本は、「子どもの事件簿」というサブタイトルの下に、戦後の様々な子どもに関する事件を新聞から集める努力を重ねた末に、出来上がった本である。
 昔は少年犯罪が少なかった、などと漏らす年配の方がいたら、それは明らかに間違いである。統計は、現代の少年犯罪の少なさを明らかにするだけである。
 だが一方で、最近の子どもたちは自然の中でもっと遊べばいいのに、などと漏らす大人がいるとすれば、それは自家撞着へとたどり着く。その自然を取り払ってきたのは、当の大人たちではないか。子どもたちからそういう遊びを奪い去ってきたのは、大人自身なのである。著者は、この本の初っぱなでそのように語る。だから、今の時代は実に便利でよいものに進みゆく動きの中にある、と断言する。昔はよかった、などとおセンチに語ってはならない、と。
 子どもたちはいつの世も、逞しい。著者自身が過ごしてきた子ども時代の事を省みつつ、かつそうした時代の危険性や常識を暴き、さらに、子どもとしてどういう眼差しでいたかを正確に再現する。こんなにも、子どもの視点というものを理解している大人は珍しい。決して綺麗事ではなく、かといって極端にアウトローでもなく、ごく普通の子どもがどういう感覚で大人の世界を知り、捉えているかが、この本の命である。
 新聞が主だが、様々な資料から、古い事件をたくさん紹介してある。こんな事件があったのだ、という驚きと、さもありなん、という感想と、私は両方もった。そして、子どもたち自身の世界が昔も今もあるように、昔の子どもたちの活動も、それを今見守っているような感覚でいることができたような気がして、楽しめた。
 殺人といった血生臭いものばかりがお好きな方はがっかりするだろうが、小さな子どもの世界に大人の欲望が入り込むことで、子どもがどんなふうに感じ、実は怒っていたかということが、手に取るように分かる。
 子どもとはどういう眼差しでいるのか、を知りたいならば、恰好の入門書並びに実践書となるであろう。これは、戦後の子どもの風俗を綴った本である。
 子どもたちは今も昔も同じようなことをやっている。今小学校の子どもたちを担任している先生その他関係者ならば、この本から学ぶべき内容が多々あることだろう。エピソードの中に、失礼だがつい笑ってしまったり、そうだそうだと合点したりする間も、私には少なからずあった。




Takapan
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