『考えるマナー』
中公文庫
\600+
2017.1.
著者と言える人は、表紙に12人、名前が囲むように並んでいる。読売新聞のコラムに連載されていたものを、ある程度似通ったテーマ毎に並べて、文庫ができた。見開き2頁でひとつの文章ということで、読む方もたいへん読みやすい。なるほど、新聞のコラムならば分量が一定であるだろう。
著者の名を、五十音順に並べてみると、赤瀬川原平・井上荒野・劇団ひとり・佐藤優・橋秀実ね・津村記久子・平松洋子・穂村弘・町田康・三浦しをん・楊逸・鷲田清一、となる。名うての文章家たちである。そのため、どれひとつとして厭きさせない面白さがある。
テーマはとにかくマナーであるのだが、何についてか、についても並べてみよう。「座を温める」「美を匂わす」「お口を滑らせない」「愛が生まれる」「逃げて勝つ」「ベタを枠にする」「ステキなお客さま」「丸くおさめる」「食は一大事」「日本が宿る」「乗り乗り」「のどかに生きる」「「旬」をつかむ」「生み出す人」「こころを澱ませない」「世渡り」「悟る」となる。そして最後の項目だけは、「マナーの難問」という形で集められているが、邪推するに、そこまでの何らかの範疇でのまとまりに入りきれないと判断された「その他」ではないか、と私は個人的に考えている。なにしろそこには「殺し」とか「自己流」とか、不思議な項目が含まれている。
そして最後には、「マナーのマナー」で結ばれる。これは町田康が担当している。乱暴な言葉遣いがウリかもしれないが、まあさっぱり明るく本が終わる、ということなのだろうか。
わずかに見本として紹介すると、「探し物のマナー」を橋秀実が担当している。探し物には特有の気持ちが入るのだそうだ。「おかしい」と思うことだ。確かにあそこに、と思っていても、そこに「ない」。だがどうしてもない。こうなると、自分は信じるに足りないと思い知らされることになる。また、探し物となると、その物の存在感が大きくなってゆく。そして思わぬところから見つかると、奇妙な達成感が湧く。そのほか、そのときの人間心理というものについて、実に的確で、実に面白く綴られている。しかし、最後にキラリと光るフレーズがある。私たちは、なくした物を探しているのではない。「探すために何かが「ない」ことにしている」のではないか、というのだ。うん。心にグサリとくる。
もうひとつ、これはかなりシリアスな内容なのだが、鷲田清一の「受け応えのマナー」である。子どもが泣く。親はたとえば「聞き分けのない子」と評する。否、違う。口でうまく言えないから、泣くしかないのだ。自分の身にふりかかっていることを、うまく捉えることができない。相手との距離を測ることもできないでいる。ここでマナーが求められるのは、「訊く側」である。「訊く」を「聴く」へともってゆかなければならないのである。そう。また、臨床カウンセリングの河合隼雄の名前も出して、黙り込むひとの口を開かせることについても、その場で述べている。聴きたくないという突き放した態度をとることで、逆に口を滑らかにさせるのだそうである。けれども、それは簡単に突き放してはならない。そのときの心構えが、実に難い。「突き放すふりをして最後までつきあう」のだそうである。つまりは「時間をあげる」ということなのである。この最後の一文に、私はしびれた。
同じ鷲田清一が、「親ばかのマナー」というところで、「しつけ」の場として家庭が、「信頼ということを深く学ぶ場」である、と示してくれた。それは、「自分が生きるに値する者」だと納得することにつながるというのである。ああ、子育てをした者には、それはしみじみ分かるというものだ。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド