本

『ありがとう私のいのち』

ホンとの本

『ありがとう私のいのち』
星野富弘
学研パブリッシング
\1050
2011.11.

 すでにカレンダーとしても定番となっているであろう、星野富弘さんの詩画集。とはいえ、今回ははっきりとした目的がある。
 小学生たちへはっきりと伝わるメッセージである。すべてにふりがなが振られているのもそのためだ。
 体育教師としての実演中、鉄棒から落下、そのときの頸椎損傷により首から下が動かなくなった。それから40年。口で絵筆をくわえて描くその絵と言葉は、本人はもちろんのこと、多くの人を勇気づけてきた。アメリカ各地やポーランドで展覧会を開催し、群馬県には美術館も建てられた。この事故のことや、そこから立ち上がっていく様子は、これまでに『愛、深き淵より』などで語られ、『風の旅』などの詩画集が発表されてきた。
 そうした中から、子どもたちに伝わりやすい内容、また大切な今回はとくに自分が生かされ、助けられて支えられていることを中心に、子どもたちへ伝えるメッセージとして編集されたものがこの本である。もし本人の筆の文字が子どもたちに読みづらかったらいけないと思い、活字でその文字だけを打ち直すほどの配慮である。それほどに、はっきりと間違いなく伝えようという意図が伝わってくる熱い一冊である。抜粋であろうとも、これはよくまとめられたものだと言ってよい。
 しかも、子どもたちが手にすることを願ってか、価格も抑えられている。最初のころに描いたたどたどしい文字も掲載されている。漢字だと1文字描くのに何分もかかることがあったという。ペンはよだれで汚れ、途中で力尽きることもあっただろう。その有様を隠すことなく伝えてくれている。
 たとえ死にたいと思っても、身体の器官が自分を生かそうとしていたことが、「あとがき」に記されている。自分を生かそうとしているそのはたらきに、自分の絶望をすら恥ずかしく思ったのだとそこには書かれている。「けがをして、すべてを失ったと思ったが、気がつくと、私にはまだ、たくさん残されているような気がした」とある。思いやってくれるたくさんの人の心をも感じたという。「生きていて良かった」という一行がある。
 はっきりとは書かれていない。だが、そこには、震災で傷ついた人への思いがあるに違いない。あからさまにそのことを、被災していない者が安易に口にすることは憚るべきだ。おそらく星野さんはそう考えているのだろう。だから、簡単に、頑張ってくださいとか希望をもちましょうとか言うことはしない。けれども、自分は、生きていて良かった、そのことを、身体の殆どが動けない状態の40年を過ごしてきた者が、幸せだとして告白する。そこに、熱い思いと、たぶん涙とが、こめられているように私は感じてしまう。違ったらごめんなさい。
 被災地の、あるいは被災地から避難して故郷を遠く離れた子どもたちが、この本に触れて、少しでも支えになれば、との思いがこめられているように、私には思われてならない。
 ひとつだけ不満があるとすれば、ここには信仰ということが表に出されていない。たぶん、キリスト教の宣伝のようになってはいけないと考えた編集者の意図なのだろう。今回は信仰の強調ではなく、生きていくことの一歩が大切だと捉えたのだろう。信仰に関する部分が全く現れてこないというのは、星野さんの作品集としては、どこか魂が抜かれたようで残念でならない。ただ、それでも、信仰なしではこういう作品は生まれず、こういう力が与えられなかったということは、感じる心には間違いなく伝わると思う。言うなれば隠し味である。それもまた、ひとつのスタイルであるものなのだと教えられる気がした。いかにもの宣伝が、今必要なのではないのだ。
 震災に限らない。絶望という闇に覆われそうになっている人なら、小学生などに限らない。大人もまた、この本を開いて戴けたら、と思わずにおれない。




Takapan
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