本

『手塚治虫と6人』

ホンとの本

『手塚治虫と6人』
平田昭吾・根本圭助・会津漫画研究会
ブティック社
\3800
2005.12

 マンガの神様(すぐれた人という意味)と言えば手塚治虫。しかし、今の小中学生は、もはや手塚治虫の存命時を知らない。私なんかが「吉田茂は……」と話を聞くようなものだろう。そして、手塚治虫の連載時を知る私たちにとってもまた、多くのその後のマンガ家が手塚を慕ったとか、手塚こそ現代マンガの創始者だとか、アニメは手塚から始まったとかいうふうに捉えてしまいそうになる。
 いや、手塚自身、元は若造だったのである。そして、当時の絶大人気を誇るマンガ家たちに憧れ、出会い、けなされ、そして自分の道を見出して行ったに違いないのである。
 そんな当たり前のことが、この資料集とも言えるような大型本を覗くことによって、改めて分かる。手塚治虫が、どんな人と出会い、どんな思いで、恐る恐るその歩みを刻んでいったのか、まるで自分が青春のときに、どこか恐い者知らずでありながらその一方その一歩伊坪に不安を隠しきれなかったというふうなあの思いにも似たためらいのようなものを、この本から感じることができるのである。
 手塚治虫自身のマンガの分析や解説ではない。その時代背景、手塚自身が生きた時代に見えていたもの、見晴らしていた地平といったものが、この本の狙うところであろう。それはまた、手塚の過去を明らかにするのみならず、そこから未来を見据えた手塚の思いの先に見えるもの、つまり当の未来である、私たちの生きているこの今、さらに私たちから見ても未来といか言いようのない時代を、見通すような思いに、私たちは包まれていくのである。
 必ずしも、論理的に記事が並んでいるようには思えないので、ファンはどこから読んでもよろしいと思う。私たちは、手塚のような突出した一人を抱えることはもはやできない時代にいるかもしれないが、手塚のように、未来を見据えた眼差しをもった心を、忘れずにいたいと願う。なんだか、それを最近忘れていたような気がするからだ。
 私は個人的に、ようやく最近、文庫本でだが、『火の鳥』を全部集めた。このシリーズと最初に出会ったときの感動は、決して消え去ることのできないものである。そして、『ブラック・ジャック』の単行本は秋田書店版でかつて買い集めていた。だから、その後問題点が指摘されるなどして改版され全集などから外された作品も、当初そのまま載っているという本を保管している。別に、マニアではないけれど、結果的にそうなった。
 そうまでして読みたい、買いたいマンガが今ないのは、たぶんただ年齢のせいなのだろう。




Takapan
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