本

『お寺の掲示板』

ホンとの本

『お寺の掲示板』
江口智昭
新潮社
\1000+
2019.9.

 古びた山門の掲示板に大きく、うまいともへたとも言えない文字が墨で書いてある。「ばれているぜ」これが表紙だ。
 雑誌連載の記事を加筆などしてまとめた本なのだそうだかだ、実に安い予算で「お寺の掲示板大賞」なるものを世に問い、応募を求めたら、集まるわ集まるわ、日本全国からこのような掲示板の言葉がどんどん届く。SNSの発展で、話題にさえなればいくらでも集まる。中には一般的にツイートでバズってるものもあるし、そもそもインスタ映えのノリで、面白いものはけっこうネット社会で知られているものなのだ。
 その記事のコンセプトは「満員電車の中で仏教を全く知らないサラリーマンがスマホで仏教に触れる」というものらしく、書かれてある内容はできるだけ専門用語を使わず、それでいて人生になるほどと思わせる、なかなか巧い解説が付けられている。
 「人の悪口はうそでも面白いが 自分の悪口はほんとでも腹がたつ」などとくると、なるほど、と膝を打つ。僧侶養成の学校の入学式で「君たちは愚かになって卒業してください」との訓辞があったそうだ。いくら知識を増やして賢くなってもだめ。自分の問題として受け止められなければ、学んでも愚かになれず、賢くなるだけだ、と。自分の愚かさを受け入れることの非常に難しい有様から、すべて言われる真実である。
 「人生が行き詰るのではない 自分の思いが行き詰るのだ」には思わず唸る。目の前に起こった事実をそのままに受け止めるのがよい。結局自分の思いが動きを止め、絶望をもたらしているのだ、というのだ。
 このような「深い」言葉は、不思議とキリスト教にそのまま移しても成り立つようなところがある。これらに聖書の言葉を引いてくることもできそうな気がする。実は私がこの本を絶賛するのは、そこのところだ。キリスト教会でもやったらいい。せいぜいどこでも、聖書の中の誘い風な言葉を掲げてはいる。それが悪いとは言わない。しかし、お寺の前にあるように、人の心をぐいと掴むオリジナルな言葉はめったに見られない。ありきたりの誘い文句だけなのだ。もっとこれがあってよいと常々思っている。そこにいる人の体温が感じられるような、直接的な言葉。ここにいる私はこんなことをあなたに言いたい、という人間的なふれあいと交わり。ただ聖書の言葉を掲げていれば聖霊がはたらくとか、お気軽にお入りくださいという言葉があれば入りやすいとか、そんなふうなおめでたい態度でいて、教会に来る人が少ないと嘆いているのは、実は当然すぎることなのだ。
 「NOご先祖,NO LIFE」は、チョークなのだろうか、凝ったレタリングをぜひ本書でお確かめ願いたい。いい感覚だ。先祖がいなければ君の人生はなかった、命のつながりを考えよ、というのだ。アニメ映画でもテーマとなるようなことで、見た人の心を掴むではないか。
 「男は度胸 女は愛嬌 坊主はお経」とくると、くすっとくる。男女を型に嵌めることの是非はともかくとして、見た人の心の中に口調よくずっとリフレインされるような言葉、それがお寺と人との距離を近づけるのは間違いない。
 「のぞみはありませんが ひかりはあります 新幹線の駅員さん」というのは実際にあった言葉にハッとさせられたケースなのだという。その人は河合隼雄さん。これは素晴らしい言葉だと感激したのだという。人間の側で絶望があったとしても、仏の光はなおも照らしているのだということだが、これなどはキリスト教でそのまま告げても伝えることのできるものがあるはずだ。ほんとうにうまいことを言う。
 その他、ヒット曲の替え歌であることが明らかなものや、「仏教半端ないって」と流行語をもじったり、「ほとけさまに圏外なし」と今の文化をそのまま使ったりしたものも並び、本の最後には、たんに有名人の名言を掲げているだけのものも並んでいる。「生きているだけで丸儲け」「君たちがいて僕がいる」「これでいいのだ」などは、誰の言葉であるのか無粋にここで挙げはしないが、その人の名前と共に堂々とお寺の掲示板に事実掲げられていたというのだ。それぞれが仏教の深い教えにつながるもの、その現れであるという解釈である。
 ああ、やられた、としか思えない。キリスト教会がどうしてこれができないのか、悔しくてならない。もちろん自分もそのアイディアがなかなかできなかったというのが悔しいのだ。
 編者が福岡県生まれであるせいかどうか知らないが、これらの紹介したお寺には、福岡のお寺も目立つ。新聞で、ハロウィンのときに「Happy Howrin」(法輪)と、卒塔婆だのなんだの万霊節に相応しいイラストで飾ったものが紹介されていたのを思い出した。私も身近なところで見かける可能性があるというものだ。いや、そんなことを言っている場合ではない。教会でこのような発想でコピーを考えることで、実は自分たちが何を伝えたいか、人にどう接していくか、光が見えてきそうな気がしてならないのだが、どうだろう。新幹線の「ひかり」はまだ走っているはずだ。




Takapan
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