本

『人を恐れず天を仰いで』

ホンとの本

『人を恐れず天を仰いで』
広岡浅子
新教出版社
\1700+
2015.7.

 NHKの連続テレビ小説、いわゆる朝ドラで取り上げられた人。2015年の秋から始まった「あさが来た」の主人公である。明治期に燦然と輝く女性実業家であり、筑豊の炭鉱に端を発し、銀行や生命保険会社創業に関わったほか、子教育の道を拓き、日本女子大を創立したことでも知られる。AKB48の主題歌「365日の紙飛行機」も爽やかであった。平均視聴率23.5%は最近ではトップを誇る。
 しかしドラマでひとつ残念だったことがある。それは、あさのキリスト教への関わりが一切出てこなかったことである。一切というのは大袈裟で、成瀬仁蔵牧師との関わりは描かれていたのだが、あさの信仰そのものは現れてこなかった。
 しかし晩年ではあるが、救世軍の山室軍平の説教に打たれていた浅子は、60を越えたときの病気を介してはっきりと自分に死ぬ経験を与えられ、キリスト教信仰をもった。その後は伝道集会での講演に活躍し、またキリスト教世界へ訴える多くの文章を多く綴っている。本書は、それを紹介するものである。かつて刊行された『一週一信』を現代に呈したということである。もちろん、これは朝ドラに取り上げられることになったが故の企画であったことだろうが、その後ドラマではせっかくのこの企画も、信徒のほかには及ぶことがなかったのではないかと思われて残念である。
 文章力のある人であるほか、批評精神に長けているので、ここに記されたキリスト教世界への提言には、歯に衣着せぬものがある。どうも他人を批判することについて容赦のなかったというのは元来の性質であるらしく、確かにそうでもなければあれだけの実業はなし得なかったことであろうが、キリスト教信仰にあっては、他人を許すことは必要であっても、むやみに叩くというのは好ましく思われないものである。その意味で私もまた彼女の筋を辿るようなところがあるのだが、しかしここでは広岡浅子について言うと、この批評がまた辛辣であり、言うべきことが言われていると私などは思うものである。
 本書の最初には、自分の生い立ちのようなことが多い。だがそれは7分の1程度に留まり、あとはキリスト教世界への提言や苦言である。竹を割ったような勢いで語られるその言葉は、文章としても力があるが、内容はさらに厳しい。とくに実業精神で生きてきた彼女であるせいか、口先だけで愛だなんだと呟くだけで何もせずに聖人ぶっているような風潮には、徹底的に対抗する。人を助けないで何がキリスト教だ、と啖呵を切るのである。
 しかし驚くのはそのことだけではない。ここにある文章の数々は、ちょうど百年前にもなるものである。その時のキリスト教世界のまずいところを指摘しているには違いないのであるが、私の目から見て、今日にもずばり当てはまることが実に多いのである。その内容については、ぜひ直に触れて確認して戴きたい。私は、まるでここに書かれてあることを自分がただ真似して説いていたのではないかと錯覚したほどである。
 信仰をもって十年後には召天している。その短い期間に、聖書を真摯に学び、しかもその精神に敬虔に生きるということを実践したであろうことが、よく伝わってくる。その筆の勢いは、確かにあまりにも真っ直ぐ過ぎて、ここまできつい言い方をしなくてもよいのではないか、と思う場合もあるように感じたし、もっと相手の立場や気持ちを考えた上で言葉をぶつけてもよいのではないか、と心配するような場面もあった。それでも、聖書の解釈について本当に現代的な理知的理解も伴い、どきりとすることもあったが、なかなかどうして、たいへんよく聖書を読み、呑み込んでいることが分かる。随所で引用し、聖書のスピリットを適用しては、ずばりと物申すのである。
 今日のキリスト教が発展しないのはなぜか。百年前に、この問を正面から投げかけ、至らないキリスト教指導者や信徒の考え方を掲げている。ドラマでは描かれなかったが、せっかくこうしてメジャーになり、私も知りえた広岡浅子の言葉は、百年という時代を感じさせず、いまの私たちに迫るものが確かにあると思う。いま、教会でこれを中心に学び会をしても、意義在るものになるのではないかという気がするのであるが、如何だろうか。




Takapan
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