本

『天地明察』

ホンとの本

『天地明察』
冲方丁
角川書店
\1890
2009.11.

 2012年に映画化されたため、たいへんな売れ行きとなった。もともと吉川英治文学新人賞や本屋大賞を受賞したこともあり、かなり読まれた本ではあったのだが、映画というメディアは、さらに爆発的に読者を増やす働きがあると思われる。スタートが本でない人をも巻き込むからだ。
 江戸初期に活躍した渋川春海の生涯を追うストーリー。それをここで下手に紹介すると、いわゆるネタバレを起こすために、慎重に触れていかなければならない。
 江戸時代のすぐれた日本の数学(和算)にまつわる話の展開は、一般的にちと地味ではないかと思ったが、世間は受け容れたようだ。私は和算には詳しくない。だが、その価値については大いに驚き、また尊敬し、誇りたいと思う。この小説でも重要な役割を果たすが、とくに関孝和は、この時代の世界の最先端と言ってもよいくらいの力と成果をもっていた。それは、小学生のころに円周率について調べたときから、そのような印象で見ている。
 渋川春海はこの関孝和となかなか接触はできないが、数学の問題を通して絶大な影響を受ける。数学についてまっすぐな心がよく伝わってくるが、この春海は、結局暦について名を遺すことになる。改暦に携わったのだ。小説の冒頭はその改暦に向かう場面で始まり、すぐさま二十数年前に戻り、そこからの歩みが描かれる。そのため、本の最後まで来たときに、ようやく冒頭の情景の意味合いが理解できるということになるわけだが、その辺りもすでに映画的な構成であると言えるかもしれない。
 そして「えん」という女性との出会いと、まさにその縁とについての傍流がこの小説に色を付けている。映画でもその辺りが人を呼び込む一つの契機になったことだろう。
 囲碁を身分の高い人の前で打つ仕事をふだんはしている。そのため、囲碁のシーンがたくさん出てくるし、囲碁を通して人生を語るようなところが多々ある。囲碁を知らない私としてはすでにハンディキャップを負ったようなものであったが、囲碁の素人が小説を読む上では、あまり問題はなかったように思う。それよりもむしろ、本当に囲碁を詳しく知る人からすれば、この小説にある囲碁の描かれ方は万全とは言えず、著者もよく勉強はしているが、囲碁については間違った記述が少なからず見られる、と言われる。ある程度仕方がないことだろうが、やはり世間のプロの目は厳しい。逆にまた、小説が有名になって、ふだんであればそうした専門家の目にとまるようなこともなかったことだろうに、売れてしまったのでまたプロの目に止まるようなことになってしまった、という面もあるだろう。おかげで、参考文献に挙げられていたこの和算についての本の著者からは、歴史的に問題のある描き方を小説がしているため、歴史を間違って伝えることになりはしないか、という懸念をしているのを、ネットのブログから私は見つけた。
 広く知られるようになると、このようにチェックも厳しい。仕方のないことだろう。しかし作家もそれなりに深く調べ、学んだからこそここまで描けたのである。史実として、あるいはまた文体などにおいて、いろいろ問題はあるだろうと思う。しかし、長い物語であったが、最後まで厭きさせずに引っ張っていく、それなりに読みやすい文であったのも本当である。特に私は、最初の図形の問題を見たとき、それは電車の中であったのだが、一旦本を閉じ、手帳の一頁を使って自分で計算をし、解いてから続きを読んでいくということをしてしまった。中学生にやらせるに面白い問題であった。ただ、その後、そうした魅力的な問題が紹介されることはなかった。晴海が関孝和に挑んで出題した問題は、解不能であると突き返された。私もそれは考えることができなかった。
 そんな楽しみもある本である。どうぞ多くの人は、そんな問題の内容になど立ち入らず、ストーリーとして、晴海と一緒に、あるいはえんといっしょに、暦を巡る時代の戦いを辿っていって戴きたい。この暦の問題も、私は個人的に興味があって、基本的な西欧でのなりゆきなど、詳しく見たことがある。しかし、事実上の問題が起ころうとも、数百年も続いてきた伝統の暦から、朝廷が離れることができない様子が描かれていたのは、たしかに政治とはそういうものなのかもしれない、と、少し悔しいながらも、少し呆れ哀しいような思いでラストを迎えたのであった。




Takapan
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