『典礼聖歌を作曲して』
高田三郎
オリエンス宗教研究所
\4000+
1992.3.
高田三郎と言えば、元々合唱曲の作曲者として、私は知る方だった。後に、クリスチャンとして認識するようになった。カトリックの洗礼を受けたのは、40歳のときであったという。ただ、プロテスタントの教会学校に行っていたことが、その背景にあるらしい。そのことは、本書にも記されている。
本書のテーマは、「典礼聖歌」である。カトリックに於ける賛美歌のような位置づけである。
第二バチカン公会議により、カトリック教会のミサが、それまでのラテン語から、各国語に変わったことに基づくのであろうと思う。聖歌についても、日本語で歌うことが可能になったわけだが、日本語訳をつくればそれでよし、というものでもなかったようだ。日本語に直すということは、かなり内容を省略しなければならない。従来のグレゴリオ聖歌あるいはそれに等しい状態から、何か抜け出さねばならなかったのであろう。
しかし、カトリック教会は統一組織である。思いつきで誰かが作ればよい、というものでもないだろう。ここで高田三郎氏がその大役を担う。人材としては文句なしであろう。
本書は、その当人の言葉がたっぷりと語られている。日本語をどのように曲にのせればよいのか。その旋律はどのようであるべきなのか。「正解」のない営みの中で、どうその仕事に挑んだか、が明らかにされている。
とはいえ、グレゴリオ聖歌とは何か、という辺りから説き起こさなければならない。そして、ことばと曲、あるいはリズムがどのように関わってゆくのか、専門的な内容が語られると言ってよい。音楽的には、実際の典礼聖歌がそこにある前提で語られるようなもので、一つひとつのことに肯きながら読むということは難しかった。ただ、その中で時折理論が語られ、あるいは工夫した考え方が明らかにされていたために、作曲をする人にとっては、またとない、業務上の秘密の暴露というところではないだろうか。
そしてなお、そこには「信仰」という重大なベースが流れている。最後に明かされているが、妻に、あなたほど祈られている人はいない、と告げられたという。典礼聖歌という極めて大きな委託があったからには、他の人々にとことん祈られて、この大きな仕事を全うしたのだ、という意味である。そこには、当人の祈りがあったからこそだ、と言えるはずだが、その辺りの「信仰」によるこの仕事の背景も、本書には時折綴られている。
詩編について、また聖週間の典礼について、事細かく綴られ、その後アレルヤ唱やミサのプログラム、一般賛歌から教会の祈り、というようにカトリック音楽のすべてがここに網羅されていると言ってもよいのではないか、と思われるほどだ。
そこから少し外れたものが最後に置かれていたが、「やまとのささげうた」の内に、日本古来の音楽も、反対意見もある中で貫かれた事情が記されていた。
大きな版で、見事なハードカバー。それに400頁を超える内容に、圧倒されつつ最後まで読ませて戴いた。1992年、まだ著者が存命のときであったが、実に見事な書物が生まれていたものだ。確かに、「見事だ」というより他の言葉が出てこない。しかもそこには、個人の栄誉というものではなく、神を称えるということに徹したものが輝いている。これでこそ、信仰者の仕事と言えるのだろうとも思う。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド