本

『《花の詩画集》種蒔きもせず』

ホンとの本

『《花の詩画集》種蒔きもせず』
星野富弘
偕成社
\1575
2010.5.

 毎年のカレンダーにおいても、定番となった、星野富弘氏の花の詩画集。幾度もそれらが集められて本となって出版されている。この度まとめられたこの本は、2000年代の作品が多いが、編集に特別な意味があって並べられているようには見えず、何か思うところがあって適切に配列されているのではないかと思われる。
 頸髄損傷により、中学教諭としてまだ二十代のとき、手足の自由が失われた。しかし信仰を与えられた中で、口に絵筆をくわえて描くことができるようになり、恵みを証ししている。
 もう六十を越えていらしたことを改めて知る。多くの人を慰め、驚かせるばかりでなく、純粋にその絵とそれに付せられた詩に、目を開かれる思いをする人は少なくない。時にしっとりと、時に爆発的な愉快なフレーズで、いのちと創造の神へつながる眼差しを私たちに提供している。
 いや、この絵と詩そのものは、神への讃美なのだ。地をはいつくばって虚勢を張るばかりのせせこましい人間というものが露わになり、そして誰もが、自分を支えている神へと振り返るようにとの願いがこめられた中で、これらの言葉が紡がれている。
 あれこれ評する必要もない。一人の人の生きる姿であり、神に生かされる姿である。言えるのは、ただ、よい仕事をしておられるということだけである。
 動物は扱いにくいだろう。時間をかけてじっくり描くためには、動くものよりは、静止する植物のほうが相応しいに違いない。それは実のところ、写真でも同じである。私が花の写真をたくさん撮影するのは、その美しさによるのがもちろんのことだが、正直なところ、逃げたり撮影タイミングを待ったりする必要が少ない植物であるからというわけもある。
 ただし愛犬の「みしん」はまた別である。一番よく知る動物として、比較的描きやすいのではないかと思われる。この本の表紙は、その「みしん」くんである。マタイ伝にあるように、種蒔きをせずとも天の父はそのいのちを養ってくださる、ということをテーマに、多くの生きた言葉と絵が収められている。
 いくつか、一定の長さのエッセイも付せられている。作者のいろいろな考えが窺える。抱きとめていたその言葉が漏れるとき、私たちには銀の滴のようにすら思える。ひとつひとつの言葉や絵が、汗の故の作品であることを思うとき、私たちは隣り人に対しても、大切に扱うことの必要性と価値とを、改めて覚えるのである。
 私が花の写真に言葉を載せるという趣味をもっているのも、もしかしたらこの星野さんの影響を、知らず識らずのうちに受けていたのかもしれない、とふと思った。私は理屈ばかりで、詩的な輝きを考えないようにして実践しているのであるが。




Takapan
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