本

『こりゃたまがった!』

ホンとの本

『こりゃたまがった!』
長谷川法世
海鳥社
\1575
2004.5

 博多を代表する人の一人と言ってよい、漫画家の長谷川法世さん。
 博多の街へ出て、路傍の片隅で生計を営んでいる人々に直に触れて、訪ね歩く。そして、何か変わった人はいないかと相談し、次の人を紹介してもらう。人には一人一人、分厚い、そしてかけがえのない人生がある。それを法世さんらしく、軽妙な博多弁混じりの文章と、ムード溢れるイラストで紹介している。
 なんとも味わい深い本である。
 落語が何の教育になると陰口をたたかれながらも、赴任した小学校で次々と落語クラブをつくっていく先生。昭和天皇にコーヒーを献上するよう依頼された喫茶店主が、特別の豆はどうかと言われても、ふだんのが一番、と平然と持っていったという話。ピンクちらし剥がしに自主的に活動する「はっぱの会」という父親たちの会。博多の「は」とパパの「ぱ」だという。カブトエビが田んぼの雑草を生やさないことに気づいた農家の親父さんが、学会で喝采を受け賞を受ける話……。
 ああ、もうたまらない。
 博多をご存知ない人でも、こうした人生の数々を聞くことは、実にいいはず。もしかすると私たちは、こうした話に飢えているのではないだろうか。「ちょっといい話」云々の本が売れる。心癒されるような話、人の貴重な体験談、それによる人との触れあい、私たちはこうしたものを欲しているのではないだろうか。昔なら、炉端でちょいと近所のおっちゃんと話をした、お節介のおばちゃんが昔こんなことがあったと話してくれた、そうした世情が、やけに求められているのではないだろうか。
 それが残っていたのが、たぶん昭和30年代あるいは少し遅くしてもよいが、その辺りだとすると、今日マンガやドラマなどで、その時代のものが盛んにリバイバルされている訳の一つが見えてくるような気がする。ケータイもインターネットもなかったあのころ、実は人と人との関係が、強く密に結びついていたし、結びつくことができていたのだ。
 法世さんのこの本の試みは、実に地味だが、私たちが見失っている大切なものを、はっきりと示してくれているような気がしてならない。




Takapan
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