本

『タラント』

ホンとの本

『タラント』
角田光代
中央公論新社
\1800+
2022.2.

 題名に惹かれて、読みたくなった。図書館は、こと新しい小説に限っては、借り手が多い。予約待ちであったが、とりあえず登録しておいたら、忘れた頃に図書館から電話が来た。こうなると、その時に読むしかない。
 もちろん「タラント」というのは、新約聖書の中の言葉から取っている。しかも、いまの新しい聖書では「タラントン」と訳す傾向が多いので、著者がかつて親しんだ呼び方に沿ったのかもしれない。ご自身信仰はお持ちでないと公言しているが、出身校がミッション系であり、聖書はなじんでいる一面があるのだという。
 福音書の中のイエスの譬でいえば、タラントを隠していることが咎められ、タラントは活用するものだ、というように受け取るのが一般的である。このタラントは、通例「賜物」と呼ばれる。テレビの「タレント」はこれの英語バージョンである。そのときには「才能」のことだろうが、いまのタレントが、才能なのかどうか、少し怪しいときもないわけではない。ともかく、神から一人ひとりには、かけがえのない賜物が与えられているのだよ、と教会学校ではよく語るものである。自分にも何かがある、子どもたちにそのように受け止めてもらえれば、歩み出す力が与えられるのではないか、と願うのである。
 さて、本書は、主人公は殆ど「みのり」だと言ってよいだろう。その祖父清美の謎が全編に流れているが、時折突如一場面だけ現れる、戦場での様子が、清美の過去を少しずつ解き明かすように設定されていると言える。戦場で足を失い、義足をつけることになる。その義足が、2020年のパラリンピックへとつながっていくのである。  例によって、ストーリーに関してネタバレを起こしたくないという思いから、細かく何かをここで晒すことはしないつもりである。すでに一部分は言ってしまったことになるが、お許し願いたい。
 みのりは、大学で「麦の会」というサークルに入る。この「麦」もまた、最初の設立者が、一粒の麦という聖書の言葉に基づいてつけたらしいのだが、宗教色を出すものではない。それでも、麦として死んで実を結ぶというキリストの精神は、物語の全編にうっすらと流れているのは間違いない。というのは、海外ボランティア活動をするからである。戦場に近いようなところにも出向いて、そこで子どもたちと触れる。この仲間たちが、入れ替わり立ち替わりみのりの人生に関わっていくのも味わいどころであろう。
 物語は、最初2019年から始まる。そして、区切りははっきりしているものの、とにかく時間軸が始終入れ替り、時代が前後すること夥しいために、ぼうっと読んでいると、どれが原因でその後どうなったのか、見失いかねないものとなる。それでも、著者はかなり気を配って、時間の森に迷い込んで身動きが取れなくなることがないように、配慮している。そこはやはり著者の腕前であろう。ただ、やはり気をつけておきたい。
 もしも、これを編年体で描いていったら、どうなるだろう。出来事は分かりやすく伝わっていくだろうが、祖父の謎を知ることへの関心が、湧かないままに時が流れていくことになるだろう。つまり、どうしても現在をひとつの基点としながらも、そこで生じた疑問を、過去に問い直すような動きが必要だったのであろう。そして、最後は、当初の「現在」を超えて、次の出来事が起きて、物語を結ぶことになる。落ち着いた構成となるわけである。
 物語の最終頁が443頁である。私が気づいたという意味なので、間違っているかも知れないことを汲みおいて戴きたいのだが、タイトルの「タラント」が登場するのは、378頁からである。教会付属の保育園の掲示板で見かけるのである。そこでタラントというのが「個性」のようなものだろうかと心に留める。これだから、教会のちょっとした掲示板も大切であることが分かる。誰も見るものか、と思いがちだが、何かしら目に留まるわけであり、ないよりはあったほうが、可能性を生むことは間違いない。そしてこの物語のように、心に残ることがあるのである。3頁後では、その意味を知りたくて、みのりはパソコンで検索してみる。そこで、タラントのたとえについて知ることになる。そしてラストでは、この言葉こそもう現れないが、実体としてそれが一人ひとりの心に現れてくることが、読者には分かるようにできているのである。
 しかしまた、「タラント」という言葉を出してこなくても、伏線のように、たとえば私の心に残ったところとしては、275頁を挙げておきたい。また、神を信じることへの問いかけのようなものが、288頁や337頁に見られることは、メモしておくことにしよう。それから、教会の掲示板のための伏線として、一度「一粒の麦」がみのりの心にはっきりと刻まれるのが、341頁辺りだろうか。
 図書館に本は返却しなければならないが、また機会があったら、他の頁も探してみようかと思う。辛い出来事も淡々と、多くの会話で展開させるスタイルであるが、事態は最初からずっと、かなり重い。暗い気持ちに追い込まれていく人も多いだろうとは思うが、やはり最後には、前向きになれるようにもっていってくれるので、感情的に深入りできるのではないにしても、自分のことを顧みながら読んでいくと、有意義な時間を送ることができるのではないか、と見た。




Takapan
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