本

『卓上語録』

ホンとの本

『卓上語録』
M.ルター
植田兼義訳
教文館
\3000+
2003.10.

 初版が10月31日の日付となっているところが洒落ている。宗教改革記念日である。
 その存在を知ってから、読んでみたかったが、価格が見合わず、機会を窺っていた。現在、古書としても比較的入手しやすい情況であるようなので、関心をもたれた方は探してみるとよいと思う。
 ルターが人と交わる中で語ったことを書き留めた記録である。幾人かの記憶から生まれたような本であるから、もしかすると誤解や記憶違いが混じっているかもしれない。だが、ルターの人となりを伝えるものとして、大変面白いのは事実である。さすがにその辺りも研究者の目は行き届いていて、記録者のうち、信頼の置けるものや、比較してどうであるかかも、かなり研究されていて、それなりの記号で一つひとつ注記されている。その言明の日付も、可能な限り判明し、紹介されているから、ルターの人生の内のどのような情況であるかを、私たちも知ることができる。
 ルターについては、中学校の社会科でも学ぶため、その名を知らない人はいないと思われる。「宗教改革」の文字とセットで頭に刻まれているだろう。500年の時は、日本人にとっては、戦国時代の幕開けをイメージすればよいような過去として受け止められるものだろう。が、ルターの信仰や生活についての発言は、いまのキリスト者にとってはさして違和感なく理解できるような気がする。それでいて、その著作からは想像に留まるようなルター自身のことが、実によく伝わってくる。逆に言えば、ルターの著作を読むときには、この卓上語録を知った上で読むべきだろうと思う。
 ルターの宗教改革の影響で、農民戦争がドイツの各地で蜂起する。カトリック教会と封建的な政治状況にて、当たり前のように治められていた農民の立場が、改善されることを主張することができるようになった、というところであろうか。しかしルターは、自分の宗教的な考えがそのまま農民たちの要求と重なるものであるようには考えなかった。それは分かっている。だが、この卓上語録によると、ルターが農民という存在を、とことん嫌い、軽蔑していることが否応なく伝わってくる。周囲が面白がって記事にしたのかもしれないけれども、それにしても、あまりにもどぎつい悪口が続く。本書は、内容に則して集められているため、それが並んでいるというわけである。
 本書の構成は、ルターの生い立ちについて語ったものから、宗教改革の裏話のようなもの、教会制度や教皇制度についての生々しい発言というように、歴史的に大きな意味をもつものがまず置かれている。さらに、聖書についての実に様々なコメント、自身の考えについて、著作には現れてこないようなことも多々集められている。わざわざ書くようなこともない、自身の人生観やモットーなどが、ぽろぽろと零れてくるので、本当にそこにルターという人物がいて、酒が入って自由に語っているような気さえしてくるのである。
 記録者のメモが、一つひとつの項目の後に記されている点は先に触れたが、その話に登場した人物がどういうことをし、どういう立場でいたとか、ルターがその人物をどのように見ていたかとか、読者が知るべきことが実に手際よくまとめられているのもいい。私たちにとり知識の足りない点についての解説もあるし、ここにルターの言葉遊びがあるというような指摘もあって、実に親切である。本書が丁寧につくられていることが分かる。
 さて、断片的にではあるが、心に留まった点を紹介してみよう。
 「戦争はこれをどう経験していない者にとり甘美だ」(p80)とは、正にいまの時代に響いてほしい発言であると思った。教皇制度に対する批判は数多いが、それに対してルターの側としては、「パウロの命令に従い、すなわち芯の福音を説教するために聖職者を任命する」(p116)のだ、と言っている。このことを忘れた教会が現在あるので、戒めとしてほしいところである。「聖書の中のすべては、(理性から見れば)偽りであることをあなたがたは知らないのか。神は弱さに強さを、愚かさに賢さをお示しになるのを(信じなければならない)。これを信じる者は幸いである」(p171)とは、信仰の言葉が経験と違うではないか、という質問に対する回答であった。
 「神の真のみ言を説教すること、これらにわたしの魂を賭け、これらのために死にたい」(p233)などと言われると、私たちの信仰に、グサリと刺さってはこないだろうか。そのルターの「究極の、最善の方法は、聖書を簡単な意味で教示することにある」(p258)は、難しい神学やアレゴリーなどを経た自分が、それらをつまらぬものであることに気づいたための発言だが、ルターの思想を体系づけるよりも、もっと大切なものがあることに気づかせてくれる。
 そして、ルターの真意と受け止めたいが、こういう発言もあった。「学説と生き方は区別しなければならない。教皇派と同じようにわたしたちも生き方は悪い。それゆえわたしたちは生き方については争わなかったし、教皇派を断罪していない」(p388)というのだ。自身を誇るのではなく、だか福音の真実には怯むことなく妥協もしない、その姿勢は私たちも大いに学ぶところがあるのではないだろうか。
 なお、巻末の「解説」には、この語録についての背景や実情が簡潔に解説されている。可能ならば、ここは先に読んでから本編に入る方が、読みやすいのではないかと思う。「あとがき」と共に、まず全体像を知ることをお薦めしたい。




Takapan
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