本

『対話する人間』

ホンとの本

『対話する人間』
河合隼雄
講談社+α文庫
\880+
2001.2.

 「あとがき」を除いて431頁を擁する分厚い文庫である。「対話」を象徴的な題としているが、河合隼雄の多方面にわたる文章を集めたものであり、特に家族や教育に関する発言が目を惹く。もちろん深層心理を覗くような向きもあり、臨床心理士については、社会的問題に対しても強く提言している。これはいまも民間資格に過ぎず、河合隼雄らがこぎ着けたところから、40年近く過ぎたいまもなお、国家資格にはなっていない。
 さて、「文庫版まえがき」には、「日本人の人間関係の稀薄化」を問題とし、「人間関係の回復」を図ろうとしている。そこで、キーワードを「対話」と捉えたのである。単行本は1992年に出版されたが、その9年後にもなお社会はこうした提言を必要としているようであった。さらに、この「対話」は、異文化間にもなされるべきことで、21世紀の時代を見つめていることまで記されている。
 概して、一般論やポピュラーな理解に対比させて、自分はこのように考える、という言い方が多く、もちろんそれは思いつきではなく、多くの研究や観察、それから自身の臨床の実践と事例を踏まえたものであるため、説得力もある。プライバシーに冠する制約のために事例を詳細に明かすことはできないが、読者にはその真実性は届くように書かれていると思う。そこはやはり語りと文章の精鋭である。文章の分かりやすさという点でも流石である。
 第1章は「家族と自分」と題し、親子の関係が多く語られる。
 第2章は「悪と個性」として、「悪の体験」の必要性がまず示される。生き物を殺してこそ命を知るという体験を、私の世代も普通にもっていた。だが、いまや昆虫採集すら学校ではさせない。昆虫を少々標本にしたところで、種の保存にも影響はないのだが、命を奪うなという観点があるらしい。私は、そもそも教師たちが命を扱えない事情が拍車を掛けていると思うのだが、そうやって命を大切にしているかのようなポーズをとりながら、その実痛みを知ることがないために歯止めのない暴力に走るという事態も起こっているのではないか、という懸念は拭えない。
 第3章は「病と癒し」であるが、そこには当然「心」の問題が集められている。「中年」期の心理について頁が多く割かれているのは、読者層がその辺りが相応しい様相を呈していると思うが、だからこそ父と子の問題も第1章でいろいろ書かれていた所以である。本書の宣伝のために、その辺りのことが表に出ていないのはもったいない。
 第4章は「遊びと人間」。「心のリゾート」とは何だろうか。レクリエーションの本質を考え、「アソビ」について「心」という視座から見つめるのは、読者にとっても好い機会となるのではないかと思う。
 第5章は「夢と現実」とされ、筆者の得意な文学、特に児童文学との関わりが多く語られる。子どもとファンタジーについては別の著作もあるし、多くの場面でこの問題に触れて文章が綴られている。私はそうした紹介から、ずいぶんと多くの児童文学に触れることができた。読書の幅が拡がったのである。そしてそれぞれの本で、好い出会いを経験することができた。良い本を紹介されるとすぐに読みたくなるのが私の性質だが、河合隼雄には本当に多くの本を教えられて感謝している。また、この章には、多くの教育論や教育制度に対する提言が置かれている。道徳の授業のために「心のノート」を編集した中心に河合隼雄がおり、そのときのことも少し書かれている。果たしてそれはよかったのかどうか、反省は明確になされていない実情があるが、その企画が持ち寄せられたときに渋りながらも、お決まりの道徳ではなく、倫理について「考える」ことを願いながら制作した、という背景にも、ここの文章から触れることができた。
 ある意味では、雑多な文章の寄せ集めである。だから、ちょっと雑誌めいた読み方もできるかもしれない。幾つかの特集のある雑誌だ。短い文章も多く、狭間の時間で読んでゆくこともできるし、提言されていることは必ずしも古びているとは思えず、むしろまだ実行されていない大切なこともたくさん見出すことがてきるような気がする。
 まだ、読まれる価値は十分にあると思う。




Takapan
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