本

『日本人の禁忌』

ホンとの本

『日本人の禁忌』
新谷尚紀監修
青春出版社
\700
2003.12

 夜中に口笛を吹いてはいけないのは何故か。夜(あるいは午後ともいう)爪を切ってはいけないのは何故か。どうして見てはならないという仏像があるのか。
 禁忌、あるいはタブーと呼ばれるものが、世の中にはある。いや、現在では、そのタブーがなくなってきたとも言われる。草木も眠る丑三つ時にさえ、コンビニは明々と光を照らし、車は平気で走っている。一つの境界線が厳然と働き、誰もが越えないタブーが生きていた社会は、果たして暮らしにくい、不自由なものだったのだろうか。そんな気持ちになってくる本である。
 女人禁制の定めも多々ある。それは男女差別だ、という意識で改革してきた動きもあれば、いまなお土俵に上がることを許さない相撲の世界の話もある。もちろん、修験道や一部の鉾などでもそれは残っている。
 それらの疑問がすべてこの本で説き明かされることは期待できない。何しろ薄い新書版なのである。だが、目を開かされるような驚きは随所に見られた。敷居や箒にまつわる禁忌も面白いし、雛人形を節句過ぎに出しておいてはいけないことなども、極めて合理的な説明がなされている。
 読んでいて生唾を呑んでしまうのは、晒し首の話。時代劇で登場する「獄門」とは何か、この本で初めて明確に分かった。江戸時代にあった死刑は六種あり、「鋸挽き」「磔」「火罪」「死罪」「下手人」「獄門」だという。それらがどのように違うのかについては、この本の129頁に一覧がある(ピラゴラスイッチのような表現だな)。読むだけで吐き気がしてくるようである。この獄門つまり晒し首の刑は、1879年(明治12年)に廃止されるが、その最後にこの刑に処せられたのは、こともあろうか、司馬遼太郎が最大の雄弁家と絶賛し、明治政府の司法卿、つまり法務大臣であったところの、江藤新平なのだ。
 キリストの磔が、クリスチャンの救いの要である。それがいかに残酷であったかについては、たしかに話では聞く。精一杯の想像をしてみる。だが、頭での理解と現実とはたぶん相当の距離の差があるのだろう。この本は、なぜかその生々しさをリアルに感じさせてくれたわけで、不思議な魅力があった。
 そのキリスト教でさえ、13日の金曜日などというタブーがある。必ずしも、日本の風習が迷信だなどと突き放すことはできない。どこの世界にも、そんな禁忌の精神はあるものなのだ。どこか無意識な領域においても。
 そう言えば、博多祇園山笠でも、期間中はキュウリを食べないなどのしきたりがある。それは紋に関係するという由来が言われているが、ふだん気づいていないだけで、実は私たちがけっこうそうしたタブーの中で暮らしているということに、反省すれば気づくかもしれない。
 刺激の多い一冊であった。




Takapan
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