本

『修猷館投石事件』

ホンとの本

『修猷館投石事件』
水崎雄文
花乱社選書6
\1700+
2018.11.

 福岡市の西部中心地にある伝統校として名を馳せる、修猷館高校。黒田の藩校に由来をもつ歴史を重ね、多くの有名な先人を生みだしてきた。健在でも、福岡県随一の公立進学校である。
 歴史が長い分、いろいろなエピソードももっているわけだが、私は寡聞にして知らなかった事件が、この本の描く「投石事件」である。大日本帝国憲法発布から2年後、という時期が実は重要であるのだが、3月24日の昼休み、生徒の一部が石投げをして遊んでいたとき、その一つが土塀を越え、外を行進していた歩兵第二十四連隊の兵士の一人に当たったという。怒った軍が学校に侵入、封鎖した上で犯人を捜せという騒ぎになった。黒田の出資の下で館長(校長をこのように呼ぶ)もしぶしぶ協力するものの、故意にしたものではないらしく、誰がしたかは分からない。しかし軍は誰かを定めよと威圧的に対処する。県知事と館長あるいは黒田との間の、これまでもどこかぎすぎすした関係の中にある者たちが対立し、それぞれの言い分を出す中で、館長は辞表を出し、また地元新聞が報道する中で様々な意見も現れてくる。軍の学校占拠は軍規にも反するのではないか、という冷静な声がある一方、軍側も後へは引けない。
 ここで問題が、立憲主義を根拠に軍を批判する向きになる。稼働したばかりの大日本帝国憲法からすれば、軍の行動には確かに問題があるのだ。中央政界にもこの騒ぎが波及し、政治論争ともなるが、結局犯人探しは不可となり、修猷館側ももやもやした中で新しい歴史を刻み始めることになる。
 修猷館卒業の歴史研究をしながら高校教諭を続けてきた著者が、なかなかひとが解明することのないこの事件の史料を探り出し、この事件の成り行きを明らかにしようと挑む。これは修猷館史でも明瞭にされていない部分が多かったというし、俗説が表に立っているような部分もあるため、きちんとした史料を示してこの事件とその行方を辿ろうとするのである。
 せっかく、立憲思想というものが立ち現れて議論もされたのであったが、残念ながらこの後この憲法を中心とした考え方が確立したとは言えず、日清日露の戦争の昂揚の中で、日本は軍国主義を掲げそれに逆らうことができないような時代に流れていく。その意味では口惜しい事件の後始末だと言えるのかもしれない。著者はそのような感慨を思いつつ、過去の歴史の中で軍と教育との衝突に思いを馳せている。
 本書には、著者が修猷館の成立史について考察したものも含めている。これは、無責任な著名人の発言を根拠とするなどして、藤雲館を修猷館の発祥のように言われていることに異議を唱えるものである。修猷館は、明治期、英語教育の猛者として有名であった。英語と数学に力を入れた独自の教育を貫く中、これからの時代は英語がものをいうようになるという理解の下で、英語の授業のみならず、数学などにおいても日本語を使わずすべて英語で授業をなすという特殊な方針を貫いていた。文部省からも快く思われなかったが黙認されていた側面もあるという。その中で、経営に行き詰まっていた法科系の藤雲館との統合が持ち上がってくるのである。その辺りの事情が、通念とは違い実のところどうであるのか、著者は史料から迫る。これは修猷館史からしても、誤った情報を含んでいるという指摘にもなっている。
 このように、これは修猷館愛に満ちた書である。刻まれた歴史が歪められているのは、歴史専攻の著者としてはたまらなく嫌であったのではないかと思われる。自らの血と汗とを本書にこめ、修猷館の歴史と伝統に重要な一コマを遺そうとしている。丁寧な考察と私たちが普通知りえない史料を前面に出して、それに向き合う時、私も有意義な時間を過ごすことができた。地味な本ではあると思うが、これは修猷館卒業生にはとくにきっと目にしてほしい書である。在校生も、これから入学する子たちも、この学校がどんなに誇るべき歴史を有しているかを、知っていくことは大切なことであると思うからである。




Takapan
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