本

『新・手話通訳がわかる本』

ホンとの本

『新・手話通訳がわかる本』
石野富志三郎監修・全国手話通訳問題研究会編集
中央法規
\1890
2010.2.

 最初に、率直な苦情を述べさせて戴こう。
 それは、この本のタイトルだ。確かに、手話通訳がわかる本である。特に後半は、通訳者の具体的な現実についての情報がふんだんに載せられている。具体的な体験談が描かれているとは言えないが、それにしても、手話通訳についてのこれほどの情報は、なかなかまとめて記されてはいないと言えるだろう。貴重な情報である。この限り、この本の題名に偽りなどない。
 だが、前半は違う。ろう者の現実の切実な部分が、適切に訴えられている。朝目を覚ますというところから、聴者とは違う現実が待っているという、考えてみれば当たり前のことであるのに、聴者には思いもつかないような点がずばりと指摘されている。聴者は、目から鱗が落ちるような思いがするのではないだろうか。ただ音が聞こえないだけだろう、不便だね、という程度しか思い及ばない人は、決して少なくないであろう。一般的にもそのように受け取られていることだろう。まさか自分が街ですれ違っている中に、ろう者がいるはずがない、とも考えていることだろう。だが、おそらく確実に出会っている。それは、声をかけるなどの関わりをもった時に、判明する。いや、判明しているのに、聴者はこの程度しか考えないのだ。「なんだ、変な人。失礼だな」と。
 こうした、理解されないろう者の現実を、淡々とであるが、ずばりと並べて示されるのが、この本の前半部である。一見ドライに綴られているこの記述が、私には本当にすばらしいと思えてならなかった。
 だから、苦情である。
 この「手話通訳がわかる本」というタイトルだと、よほど手話に関心があり、手話通訳検定を受けてみようかな、とくらい思う人のための本であるように、見えてしまうのだ。手話に興味があったり、手話サークルに顔を出していたりしても、まさか通訳なんて自分はできるはずがないし、手話通訳者になる夢をもっているわけでもない、と考えている多くの人にとって、このタイトルの本は、自分とは関係がない本であるように見えてしまうのだ。
 これはもったいない話である。およそろう者について、少しでも関心があったり、理解したいという気持ちがあったりする人には、全員に読んで戴きたい本なのである。それが、そうさせるきっかけを、このタイトルが邪魔しているような気がしてならないのだ。
 長くなった。最初に、と断ったことで、全部が終わりそうである。
 しかし、いま示してきたようなことのほかにも、難聴やろうの定義と聴覚障害のメカニズムからその教育史についての話、生活の具体的な場面でどれほど困るかの説明や、障害者権利条約のもつ意味に至るまで、この本ほど簡潔に、的確に、広く、そして深く、分かるように説き明かしてくれる本を、私は今のところ、知らない。ろう者自身にも、読んで戴きたいし、聴者はなおさらである。
 その上で、手話通訳者が社会的に必要であることの意味が理解できて、また手話通訳者自身もどれほど労働として厳しい状況で取り組んでいるのかを思いやることもできるというのなら、本当にこの本は、この社会に生きる基本としてでも、めくってほしいと願うのである。




Takapan
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