本

『主は取られる』

ホンとの本

『主は取られる』
マイリス・ヤナツイネン
橋本みち子訳
キリスト新聞社
\1575
2012.6.

 聖書をご存じの方なら、この本の題名から、ヨブ記をすぐに思うことだろう。いわば不条理な不幸に見舞われたヨブという男のもとに、友人が来て慰めようとしたところが、やがてこの不幸はヨブ自身のせいだと責め立てられる、まるで劇の台本のような、台詞の連続から成る旧約聖書のひとつの書である。善人が不幸な目に遭うのはなぜか。神が助けないのはなぜか。古来、誰もが思うであろうような疑問に対するひとつの実例的な解答がここにある。
 しかし、このヨブ記は、そうした台本調な書き方であることや、つまりは芸術的な語られ方であるように見えることからして、論旨がはっきりしない、あるいは果たして誰のどの発言の部分が適切であり、いったいヨブのどこが善い点で、どこが悪い点であるのかなど、はっきりしない曖昧さが残ることも確かである。辛い体験をした人が励ましを受けることはあるものの、一般に好んでは開かれない旧約聖書であるのではないかと思われる。
 本のタイトルの横にサブタイトルとして、「大震災を経て――ヨブ記を読む」と記されている。東日本大震災を見たとき、私たちは、ヨブ記を思い起こすこともあったはずだ。どうしてこのようなことが起こるのか。私たちは、軽々しく、神は必ず逃れの道を用意してくださる、などとは言えなくなってしまった。クリスチャン自身、自らに向けて問いかけなければならなくなった。あの地震の意味は何だったのか、と。
 著者は、この震災を見て、この本を著したのではない。その前からこのテーマで様々な活動をしており、とくにグループで考え合うという機会を重視して伝道活動をしているという。今回のこの本は、最後に震災の痛みを引き受けながら、この自らのテーマであるヨブ記について、コンパクトに、しかし情熱をこめて、まとめたものだと見られる。
 もしネット検索で「よき知らせの学び」と打てば、見つかるだろう。または著者名でもいい。フィンランドの伝道師である。その集いには、クリスチャンでない人も参加して意見を言うこともできるという。難解な神学を用いるのでなく、イエスが自分にどう話しかけているのか、という声を聞こうとする姿勢であるように見える。その聞こえ方や聞き取り方に差異はあるかもしれないが、信徒であれ信じてない人であれ、この態度ならば等しく参加できるというのも納得できるような気がする。
 さて、肝腎の本の中身については、ここまで触れていないに等しい。ヨブ記を、グループでのディスカッションに用いることを前提に、章立てがなされているが、それはヨブ記にもちろん応じた形でなされている。
 著者は、苦しみを受けた、というそのことのゆえに、ヨブ記を深く読んだ。それはヘブル語でどうとか、歴史の中でどうとかいうレベルのことではない。自分の苦しみを、神が与えたことについて、ヨブ記の中に見出そうとしたのだ。つまりは、ヨブ記から、神の声を聞くことに懸命になったということである。ヨブ記は、正しい人が苦しみを受けるということがスタートである。なぜそのようなことが起こるのか。聖書は、ヨブ記において、その指針を示している、というのである。
 考えてみれば、ヨブ記は不思議な書である。旧約聖書は、歴史書であると言われる。もちろん、伝説だと言い切る人がいるのも確かだし、創世記の表現は私たちからすれば受け容れがたいものがあることについても、私は否まないことにしている。今の私たちが基準であるとすれば、私たちには馴染まないという意味である。しかし、そこには何らかの歴史に基づいた出来事が記されている。歴史的な意味からすれば、日本神話の比ではない。ところが、ヨブ記は、その歴史性が全く排除されているとしか思えない。いつのことなのか、どこでもことなのか、全く分からない。そして、歴史性を感じさせるものがどこにもない。まるでただの空想話のように、どこか抽象的な、そして物語的な会話が展開するだけである。そのくせ、神とサタンとの対話など、誰がどのようにして知ったか知れないような描写がそこにある。
 しかし、この著者は、ヨブ記を何度読んだか知れないという。その問いかけと思索の末に、ヨブ記のあちこちの、見落としがちな表現をも、人間心理と神の計画という視点を交えつつ、生き生きと輝かせ、つないでいこうとしている。
 そこには、苦しい者が神に問いかける真実がある。
 ヨブ記のそこに、そんな深い真実があったのか、と目を開かされる。自らの苦しみの解決のために聖書を通じて神と対話を重ね続けた人が示してくれる、聖書のいのちのことばがここにある。
 もはや、大震災だけではない。私たちは、この本により、真の癒しを受けることができるであろう。




Takapan
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