本

『大人の手話 子どもの手話』

ホンとの本

『大人の手話 子どもの手話』
中野聡子
明石書店
\2520
2002.4

 さも手話を教えてくれる本のようでありながら、全然違う内容である。副題に「手話にみる空間認知の発達」とある。これは、論文なのだ。
 心身障害学というから、聞き慣れない分野ではあるが、必要の求められている分野でもあるだろう。その立場から、認知心理の視点で、手話を取り上げている。そういう、博士論文を拡大したような本となっている。
 従って、読みやすいものではない。最初からこれは論文だという意識で当たらないと、分からないしつまらない。いや、読んだとしても、門外漢にはやはり分からないというままに終わってしまう。私もまたそういう一人であった。つまりは、これは高度に専門的な営みの報告なのである。
 子どもが、空間をどのように把握しているか、それの検証は非常に難しい。本人に尋ねたところで、返ってくる答えを、聞く側が聞く側の感覚で解釈して処理してしまうのが常である。子どもが「むこうがわ」と言葉で説明したその空間把握の仕方が、「ああ、向こう側なんだね」と大人が受け止めたときの空間把握の仕方と同一である、という保証はどこにもないのだ。
 では、絵を描いてもらおう、ということになったとしても、どだい三次元空間を二次元空間に描き直すこと自体に困難が伴うであろう。中国語を、日本語を母国語をしている私たちが、英語で教えてもらう以上に難しい。
 子どもの認知を語ってもらうのは、言語的にも困難である。ところが、著者は、これを手話の中に見出した。手話で空間を把握するのは、子どもでもそれを空間的に表現することになるはず。とすれば、空間について認識したものがどのようであるかについて、手話をしてもらえばよい。
 もちろん、ここにこうしてろう者が主役になるわけであり、ろう者の認知が聴者の認知と比較して劣っているかどうかという問題にも関わってくることになる。また、それは発達の段階で、すなわち年齢と共にどうであるかという点にも関係することになる。
 こうして、年齢の異なるろう者の子どもの演ずる手話をビデオ撮影し、それを基に分析するようになった。
 著者自身、失聴者であるそうだ。ただ、手話を第一言語とすることのない故に、自分を純粋な手話感覚のいわばネイティヴ扱いにすることはできない。そういう中で、必要な問題設定とそれに対する多くの実例を集め、そこから空間把握の真実に近づくということになった。
 そのサンプルが限られているゆえ、普遍的に言明できるかどうかは定かでないが、どうやらろう者として子どもたちは、能力的に劣ったようなところはなさそうだ。
 巻末のほうに、著者自身の身の上についての肉声がある。論文のほうは素人には難しいが、まえがきと併せてこの部分は、著者には失礼なことかもしれないが、最も面白い文章であったと言えるかもしれない。
 手話それ自体には、なかなか科学の追究が始まらない。手話に対する認知の問題は、手話教育のためにも興味深いものである。経験的に用いられている方法が、たしかに意味内容のあるものとして確立するということも考えられる。手話認知学とか手話認識論とか、手話実践学とか、まだまだこれから開発されていく分野が目の前に現れる。著者も、そういう思いで、自身の課題を解決していこうとしているに違いない。




Takapan
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