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『辞書にないけどよく使う 手話単語&フレーズ392』

ホンとの本

『辞書にないけどよく使う 手話単語&フレーズ392』
鈴木隆子
池田書店
\2000+
2025.10.

 手話の初心者のための本は多々ある。これこれの単語はこういう手話。いまでこそ、ウェブサイトで動きを伴って見ることができるから、本気で学ぼうと思えば、いろいろ学ぶ手段はよいものが多い。
 もちろん、そうやって関心をもってもらうことはよいことだ。手話に対する関心は、かなり強くなっていると思う。番組でも、また選挙のときにも、手話が表に出ることがあるし、昔と異なり、よい印象を与えるもの、というふうに見えるからだ。  だが、手話入門というような新しい本が出るもの、出るもの、同じように単語が並ぶばかり。あるいは、フレーズを教えてくれるのが入門書だが、一定のフレーズを一つひとつつなげばよいというのが精一杯である。
 中級者用によいものが少なく、あとは一気に手話検定レベルになる、その間をつなぐものが、なかなか拡がらないような気がしてならないのだ。
 本書は、私には画期的に見えた。「辞書にないけどよく使う」という冠が付いた上での、「手話 単語&フレーズ392」という見出しだ。表紙にはいくらか内容の見本のようなものが見せられていて、こんなことが書いてあるのが小さく見える。「日本手話/日本語対応手話の例文を掲載」とあるのは正しい。「辞書に載っていない微妙な表現を紹介!」は、目立つように書かれている。
 だが、これでは本書の魅力は伝わらない。表紙には確かに、「そうです/そうですか/そうですね/そうですよ」というような、「微妙な差異」が載っていますよ、ということは示唆されている。だが、それで本書の魅力が伝わるか、というと、私は伝わらないと思えてならないのである。
 それの違いというのが、素人目に魅力的に映らないからである。
 具体的に、いまの「そうです……」の内容をここに明らかにしてみよう。例示なので引用をお許し戴きたい。「そうです」は、イラストももちろんあるし、もう少し説明も詳しいのだが、私的に伝えると、指文字の「も」をつくり(但し親指と人差し指をつけたり離したりする)、こっくりと肯く。肯定の返事として適切である。「そうですか」は、それの疑問のように聞こえるが、ここでは、自分が知らなかったことを知った反応という意味で紹介されており、顔の前で掌を提げる「へぇー」を遣うべきであることを教えている。「そうですね」という相槌は、両手で「も」をつくる動きを、自分側と相手側とでつくる。これも確かによく使う。こうした違いを区別して挙げるというのは、実際の手話での会話では普通に使うものだが、類書にはなかなかないような気がする。さらにもうひとつ、「そうですよ」というのは、手話のために翻訳すると、「同じ」をも表す指文字の「も」をつくってから、「知っている」というように、掌を胸に2度当てる。このニュアンスを伝えるには、本書の説明はまだあっさりとしているが、この指摘は本当に正しい。
 このような本書の特色に付いては、最初の20頁で、いわば理論ものとしてきっちり説明がなされている。この説明もまた、ユニークなもので、他書では私は知らない。そもそも最初に「手話の定義」から入るものが、どれほどあっただろうか。「単語の数は日本語よりずっと少ない」ことや、「日本手話は「手だけの言語」ではない」こと、また「地域・年齢・聖別によって表現が変わることもある」ということも、断片的に触れることはあっても、このように最初にどーんと掲げるというのは、本当に大切なことである。
 そして本書の成立背景として、著者の体験がものをいうことが語られる。単語通りにろう者に示しても、伝わらなかった経験が多々ある、というのだ。それはその通りだろうと思う。日本語の単語を一つひとつ英語に置き換えて話して、いったい英語としてどれだけ伝わると思うか、想像してみればよい。動物を飼っている、と伝えるとき、「have」を使うか「feed」を使うかは、そのときの使う意味や情況によって、きっと違うはずであるし、日本語の語順のままに単語を並べても、とても英語にはなるものではない。手話もそうである。
 このことを痛感した著者は、なんとかそうした点、つまりろう者に通じる手話を伝えたい、との思いで、本書を一からつくっていったようなのである。
 そのためには、ありきたりの単語集であっても使えない。まず、「ニュース・メディアに出てくる表現」が、調べやすいように五十音順に並べられている。「安否」「記者会見」「交通機関がマヒする」など、報道や社会情勢で幾らでも出てきそうな表現が、案外「日本語」とは異なる場合もある。「ドローン」も、指文字でやってしまいそうであるが、共通理解された手話がちゃんとあるのだ。「不倫」だって、こんなに簡単な手話があるのだ、と私は知らなかった。
 続く章は、「日常生活の表現」であり、ここはいっそう普通すぎて戸惑うものが取り上げられている。「ATM」も、アルファベットの方法もあるが、カードの挿入と金の出入りで示すというシンプルなものだ。
 ここで私がうれしいのは、この章に、キリスト教関係の言葉がたくさんあることだ。ここは、クリスチャンの方に朗報であると思う。目につくままに挙げると、まず「アーメン」がある。これには二つあることは、教会で手話を使う方には常識だろう。賛美歌の後の「アーメン」と、祈りの最後の「アーメン」は異なる。それがちゃんと本書には載っているのである。「偽善者」「教会」「クリスマス」。クリスマスはサンタクロースの日ではないのでサンタクロースで表さない、という、適切な説明も加えられている。「キリスト教」「神(キリスト教)」「聖書」「牧師」と、初歩的ではあるが、特殊なものがきちんと紹介されている。対して、仏教の語はここにはまるで見当たらない。
 最後の章は、「使える言い回し表現」として、「ありのまま」「うんざり」といったよく使うような言い方もあるし、「思わないこともない」を、直訳的に言うのと、意訳的に言うのとが二つ載せられている。つまり後者は、「少し・思う・私」である。「顔色を変えない」とか、うれしい「買っちゃった」とかなしい「買っちゃった」との区別とか、とにかく魅力的な手話辞典である。「ご遠慮ください」「こんなに幸せなこともあるのだ」など面白いものもあるが、「しまった」「情けない」は確かにろう者から習った通りのことが書いてある。「よくできました!」も、「すばらしい・拍手」と、とっても自然な表現だ。こうしたことは、現場で話していれば、自然とそうするものなのだ。
 ともかく、現時点でこれは、画期的な本だと私は感じる。図書館で借りたが、これは買おうかと思っている。




Takapan
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