『超訳 種の起源』
チャールズ・ダーウィン
夏目大訳
技術評論社
\1554
2012.4.
アメリカのキリスト教原理主義から見れば、悪魔の書であろうかという、『種の起源』。実のところ、それは大部のものであり、実際に開いてみると冗長で、また現代と違う常識の中で書かれているせいもあり、非常に読みづらいものである。よほど必要に迫られ関心の深い専門家ならともかく、一般の読者、さらに言えば、若い世代にはもう難解な哲学書に近い。しかし、一度は読みたい、目を通したい、と思う人も決して少なくはない。
そもそも、ダーウィンの書いたことは聖書に反する、と反旗を揚げて焚書すら厭わない勢いをもつ一部のキリスト教徒たちであるが、そのうちどれほどの人が、実際にダーウィンの本を読み通したことがあるのだろうか。たんなるイメージで反対運動を起こしているのだとしたら、悲しいものだとは言えないだろうか。歴史の中で、幾多の人々が、そのようにして、新たな思想に反対し、その関係者を殺してきた。魔女狩りや宗教裁判もそうだったが、宗教改革のときにも、唱えた者が火刑に処せられるなどあったのだ。原理主義者たちが『種の起源』にヒステリックに反対している姿は、それに近いものを感じさせることがある。
ひとつの思想として捉えることは、あってよい。冷静に、ひとつの科学として見つめることはあってもよい。その上で、教育なり公式見解なりを検討すればよい。読みもしない本のことを嘲笑い、焼かんとするようなことをする必要はない。
ということで、こういう苦言は、実は私が私自身に対して向けている反省である。私はこれまで、読んだことかなかったのだ。なにも私はこの本を焼こうとしたわけではない。たとえばダーウィンは、メンデルの遺伝の法則をも知らなかったわけだから、時代的な制約もあり、その考察がどれほどの科学性に基礎づけられているかどうか、それは疑問があると思っていた。だから、科学というよりは一つの思想として、誤解を招くことになるだろうとは感じていた。ただ、実際のどのような書き方がなされており、どの部分がどのように適切で、また問題を含んでいるのか、ということについては、体験したことがなかったのである。
地球の年齢が数千年という常識の時代の書物である。だから、ダーウィンの仮説が成り立つにはあまりに時間が短いと見られたのは当然である。その後、地球の年齢が、地球の温度の研究から推測され、億の単位が付けられるに至り、ダーウィンの仮説もありうると見なされてきたという。今や46億ともいえる年数の設定を受け、ダーウィンの考えは大いにありうることだということが広まっている。
ダーウィンが闘っていたのは、当時の常識でもある。創造主が、種に従って別々に生物を創造したという前提ではなく、一つの共通の生命種からの、環境適応による淘汰は、広く世界に棲息する生物の現実を観察してのまとめであった。
さて、遅ればせながら、この本の特長をアピールしなければならない。このタイトルの「超訳」という意味である。
これは、『種の起源』の全訳ではない。抄訳である。そして、訳者の意図としては、中学生に読めるようにまとめたということである。長さもそうだが、訳語の選び方についても、中学生で十分理解できるように配慮してある。これを一般の大人が読めないはずがない。図版は豊富である。理解の助けになることは間違いない。原著の図版を大切に扱っている。
それから最大の特徴は、最初の「訳者まえがき」である。これが32頁にわたる。ダーウィンの著書内に描かれない部分、つまりダーウィンという人の紹介やその作品の背景などについて、十分解説が加えられているということである。極端に言えば、ここだけ読めば、ダーウィンについて、かなりの知識を得ることになる。中学生に読めるという前提で記されているせいもあり、この「まえがき」が圧巻である。手にとって、ここだけでも目を通して戴ければ、一定のことが分かるはずである。
しかし、原典について、一部でもいいし翻訳でもいいから、本物に触れておくということには、大きな意味がある、というのが私のモットーである。いくらイギリスについての観光案内を読んでいたとしても、実際にイギリスを訪れることは、それとは全く違うだろう。そのように、原典というものには、理屈抜きの魅力がある。ダーウィンの論の運びや言葉の選び方など、生の声に触れてみるのはいいことだ。
この「まえがき」には、ダーウィンの生い立ちもあるわけだが、彼は悪意を以てキリスト教に反抗したなどということは全くないことが分かる。むしろ、生活のためとはいえ、牧師になろうというつもりでケンブリッジ大学に入学したとある。そこで、ヘンズロー教授という、牧師でもあり植物学者・地質学者でもある人に出会う。これがダーウィンを変えたのだという。
思えば、ニュートンも、聖書信仰を貫くために宇宙の法則を見出すに至った。科学は、自然の中に神を見出す営みでもあった。ダーウィンの『種の起源』は、観察に基づく生物の系統への推察であるが、これはダーウィン自身、幾度も繰り返して弁明しているように、中間生物の証拠が見られないことなど、歯切れの悪いところも多々ある。確かにそこに問題はあるだろう。だから、逆にダーウィンの説明を聞いていればますます、通常私たちがイメージする「進化」というのは、難しいのではないか、とも思えてくるのだが、その辺りは、その後の科学の成り行きも考え合わせて理解していく必要があるだろう。
とにかく、一度読んでおいて、それから評価していく、ということをしなければ、私たちは過去の歴史の過ちをまた繰り返すことになりかねない、というような捉え方は重要ではないかと私は思っている。