本

『宗教的経験の諸相』

ホンとの本

『宗教的経験の諸相』
W.ジェイムズ
桝田啓三郎訳
岩波文庫
\1010+(上)・\800(下)+
1969.10(上)1997.2.(下)

 プラグマティズムについて紹介してある本を見ているときに、本書の存在を知った。ウィリアム・ジェイムズとくれば、そのプラグマティズムの立役者であることは誰もが認めるところである。パースと年齢も殆ど変わらず、同じ波に乗っていくようにも見受けられた。行動を重んじるというのは、何も社会運動をするというのではなく、ただ傍観するだけのような西欧思想に釘を刺すような営みであったとも考えられ、また、ヨーロッパにどこかコンプレックスを有するアメリカで生まれた、活気のある思想であったと言うこともできるかもしれない。
 そのジェイムズであるが、パースが記号論に走ったのとはある意味で対照的に、理屈では割り切れない、心理学の方面で力を発揮した。西田幾多郎に大きな影響を与えたとも言われる「純粋経験」という、およそカントだったらありえないと蹴飛ばしかねないような概念を基に、真理への挑戦を続けた人物であった。
 このジェイムズ、あるときイギリスに招かれて、宗教をテーマに連続講演をしている。それがこの「宗教的経験の諸相」である。そのために資料を集めて準備したと解説されているが、決して短期間でまとめられるような講演内容ではない。これはジェイムズが、かねてから関心を深く懐き、考察を続けてきた問題に相違ない。
 この講義旅行の経緯や事情についても、かなり記されているので、単に思想を語った原稿というわけでもない。しかし原稿として読むにしても、見事な分量に驚かされるし、引用や説明の施された、厚みのある述べ方には、舌を巻く。生き生きとした講義録、講演原稿であると言えるだろう。
 ここに置かれているのは基本的にキリスト教信仰である。しかし、ジェイムズ自身もいろいろ心に思うものがあって、東洋思想も研究している。なおかつ、東洋の宗教については、自分は専門的にそれを追究したのではないために、定かにこうだと強く決めつけるような言い方はしない、と弁明している。参考資料として、インドではこうだ、中国ではこういう思想があるが、私たちの例と関係があるように思う、と述べたり、西欧とは違う考え方でこうなっている、と説明したりする。キリスト教のほかの視点も交えるが故に、自国の文化しか知らないのにそれがすべてであるかのように取扱い、ただの思いこみで宗教を決めつけている誤りから解かれているように見受けられる。
 心理学的な観点からも、宗教心理というものを多くの事例を重ねながら説明する。安易にそのからくりを想像して、こうに違いないというふうには言わない。だから、フロイトの説も時折気にしているが、あまりに特定の筋道から全部説明してしまおうとしているフロイトに寄り添うふうでもないようだ。
 目次から、それぞれの講演の題を拾い、羅列してみる。「宗教と神経学」「主題の範囲」「見えない者の実在」「健全な心の宗教」「病める魂」「分裂した事故とその統合の過程」「回心」「聖徳」「聖徳の価値」「神秘主義」「哲学」「その他の特徴」「結論」となっている。
 最初は心理学の色が濃かった内容も、次第に核心に進む。これは私の関心に基づくと言えようが、「回心」から先が面白かった。考えてみれば回心とは不思議な心理である。パスカルの劇的なケースもそうだが、パウロにしてもそう、そしてキリスト者の多くがこれを経験している。もちろん、静かな回心もあってよいが、これは心理学的に説明するとなると、骨が折れるものだろう。ジェイムズは、信仰を否定する者ではない。しかしまた、なんとか普遍的な説明ができないものだろうかと格闘もしている。「回心」して信仰を懐くようになり、聖なる存在を理想とする信仰生活を高めていく様子が、豊かな実例と共にたっぷりと描かれる。だから本書を読むときには、段落の後に置かれて読みやすいのだが、「注釈」を味わうとよい。ジェイムズがこの講演のために準備したときに探し集めたという、信仰の体験を描いた本や資料にあったことが、ふんだんに注釈として置かれている。不思議な体験も多く、気分の昂揚したものや、幻想ではないかと思われるほどの体験談に、たくさん出会うことができるだろう。
 それは「神秘主義」あたりでピークを迎える。不思議な体験談が目白押しであるが、しかしジェイムズは、それをある程度の説明の中で報告する。人は弱いけれども、強さを与えられることはできる。彼自身が精神的にまいったことがあったからこそ分かる、そんな神秘主義者たちの体験談は、それを大きく宣伝する必要もないが、否定する必要もない。一人ひとり、様々な姿で宗教を理解し、体験している。弱い精神だからこそ、それを体験する。そうすると、それがそのまま強さになっていく。パウロが体験したように、私たちも、様々な現実の中での弱さを、逆に強さとして、胸を張って人生の道を歩んでいきたいと願うばかりである。




Takapan
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